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3)高機
   
高機は、絹織物用の織機として中国から伝来し、普及しました。また、「日本織業史」には、「中国では殷時代に錦織が存在し、朝鮮半島で前漢時代の遺跡から羅・からみ織りが出土され、日本へは漢時代の織方が帰化人によって高機と共に伝来した。」と書かれています。しかし、この時代に伝来した高機の形態は不明な部分が多く、朝廷の祭礼や儀式用として発達し、奈良正倉院の宝物の中に聖徳太子の用いた広東錦 等が残されています。これらの錦織は、綜絖と跡木による複雑な操作を必要とし、織部司の支配下で日本独自の絹織物を生み出したそうです。やがて、織部司の支配から1部の特権的な職人への技術支配が移る事によって発展しました。そして文化・文政時代には、高機の織法が各地に広がり、絹織物だけでなく木綿織用にも使用され始めました。絹織物専用の高機は、奥行きが長く出来ています。それは、密度の高い絹織物は経糸の伸び率を考慮し、経糸が長くなければ織り進めないからです。しかし、木綿織物は絣を合わせるために機の奥行きが短い方が便利なために木綿専用の経糸が短い「半機」と呼ばれる機に改良されました。また、木綿織物が今までの地機(いざり機)から高機へと変化し、千巻き・前方向に巻き取る装置・踏み木を足踏みで操作し杼を簡単に操作する 等の改良が行われました。 また高機は、大和機・京機・絹織りに使用した事から絹機(きぬばた)とも呼びます。枠組や全体が地機より高く、経糸を上下させる綜絖は2枚で、上部の枠と下部の踏木に連結、両足で踏木を交互に踏んで開口します。高機に錦・綾などの紋織組織を織出す空引装置をつけたものを空引機と呼び、絹織物・絣織物・紋織物など伝統的な織物が織られ現在でも利用されています。