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私の考え方は、
真綿は、繭から作る技術を含め糸として使われるまでの技術を残していくべきだと思っています。糸を染め、それを織り上げ紬織物などを含め織物とする工程の技術を残してかなければならないと思います。 日本では人件費が高く、産業として残りにくい分野です。私は、機会のある毎に撚糸という行程を手段として、実演を行い皆様に知って頂く事を努力しています。しかし、職人としての私は殆ど家で仕事をしています ので広報活動となると仕事を休んで行く事になります。その場合は、収入にならず持ち出しになります。よって、気軽に出来るかというと出来ない現状となります。雑誌の取材を受ける事はありますが、何らかの発表 のみでは中々撚糸業として活躍する事は難しいのです。
一般的に、分業世界での下請け的仕事は、前に出て仕事の内容を発表する機会は少ないと思います。しかし、私は撚糸でも特殊な撚糸で染織家の方々への直販という形式を取っているため、仕事と発表の機会 を設ける事が出来ています。一般の職人という立場でしたら、次の跡継ぎ問題が浮上します。仕事のやりがいや収入面での安定感が重要になってきます。この業界では、子供が「継ぐ」というと、職人である親は 「やめておきなさい」と殆どの職人は忠告するのです。分業体制の中の下請け業でその苦労を知り、ますます仕事も減少する業界です。若い方が、職人としてその技術を受け継ぐのであれば、先を見る力・業界全体を 見る事を心掛けて受け継いでいかれる事が大事だと思います。全体を把握した上での分業としての仕事の重要性を見極める事です。

業界はどんどん減少していますが、個人的な趣味とか作家活動を続けている方々は増えているように思います。私は、その様な方々を対象として撚糸・絹糸販売を行いますが、これは家内工業としているか ら成り立っています。人を雇っていますと、仕事の絶対量が減少している中、嫌でも無理をして仕事を取らなければなりません。人を雇っての仕事では大変だと思っています。<BR>
現在の作家さんの織物は、同一では無く「一品物」を織り上げています。それは違う意味で時代のニーズに合っている。このニーズは、増加はしないのですが、途切れる事は無いでしょう。私は、昔からこの ニーズに合わせた撚糸・絹糸を提供して来ました。沖縄 等 手織りの産地・草木染の方々対象に、原糸を製糸依頼し、用途に合った独自の撚糸を行い、絹糸を提供しています。また、繭・糸・道具類に至るまで一連 の情報を発信する事も私の役割と思っています。そして、時間が許せば復元・再現という文化面での貢献が出来ればと考えています。