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棉の話_1

「棉の歴史」
現在知られている最も古い「棉」は、インダス文明のモヘンジョ・ダロ遺跡において出土された銀の壺に付着していた約4500年前の棉布片で、 同時に紡錘も出土されています。また、南米ペルーのワカ・ブリエッタ遺跡からは、約4000年前に面の栽培が行なわれていた遺跡が見つかって おり、棉は新旧両大陸で並行して栽培が行なわれていたようです。
日本には、延暦18年(799年)に三河国へ漂流した天竺人によりもたらされた種子を植え付けたが栽培は成功せず、西暦1500年頃になりよ うやく栽培に成功し棉布が出来る様になりました。当時、上流階級では衣服に絹が使用されていましたが、庶民の衣服は麻(大麻・苧麻 等)が中 心で棉の利用によって衣料としては大いに改善され、寒冷地除き全国的に栽培が拡大しました。徳川時代に徐々に商品として流通し始め、徳川中期 には生産工程の分業化が進み「棉繰り屋・棉打ち屋・カセ屋・染屋・機屋 等」日本における棉業の基礎が構築されていきます。日本における西洋 式紡績の導入は、幕末時代に薩摩藩によるもので、慶応3年(1567年)英国より紡績機械を購入し鹿児島紡績所設立しました。

「棉の特性」
栽培棉は、種を蒔いてから約100日後に乳色もしくは淡黄色の花が咲き、翌日にはピンクから薄紫色あるいは赤色に変化し、夕方には落花します。 果実は、苞(boll)と呼ばれ、内部には20個ほどの種子が内在し、種子の表皮細胞が外部へ伸長して長毛(棉毛lint)と短毛(地毛fuzz)となります。 種子に付着したままの棉毛をを実棉(seed cotton)、繰り採った棉毛を繰り棉と呼びます。「実棉」に対する「繰り棉」の歩合は、在来棉では約3 0%で陸地棉では約35~40%と高くなります。
木棉繊維の断面形状は、生の時には円形・乾燥すると扁平に変化し天然の「撚り」を発生します。この繊維層は三層からなり、その中心部にはルーメ ンと呼ばれる中空部が存在し、これが吸水性や保温性に関係しています。繊維の縦方向にある撚りの数は、品種によって異なり1cm当り60~120と なります。これによって繊維同士の抱合力が大きくなり紡ぎやすくなり、糸になってからの耐久性をもたらします。 木棉分子は、グルコース分子が鎖状に連結したセルロースで構成されており、乾燥時には全組織の88~96%を占めています。よって、給・防湿・ 膨潤と収縮を繰り返しますが、繊維の水分率は代表的な天然繊維の中では最も低くなります。また、一般的に弾力性と伸長性が有り、棉蠟を含んでい るので紡績し易く、織物になってからも肌触りが柔らかく保温力に富み見かけの比重が低くなります。

・その他の特徴
吸水性に優れ染まり易い。
アルカリに耐え、膨潤するが損傷されない。
酸には弱いが、弱酸性には変化しない。
注:棉のねじれは、苛性ソーダの溶液に浸すと膨らんで縮にで天然のねじれが失われます。この時に縮まない様に引っ張ると光沢が生じます。この方法 をマーセライズ加工またはシルケット加工と呼びます。

「棉の用途」
繊維及び油糧作物として世界各地で栽培される重要な原材料です。繊維として利用されるのは種子毛で繰り棉として得られる棉毛(lint)は、紡績原料 ・布団棉・脱脂棉・充填溶剤として利用します。また地毛は、火薬・パルプ・セルロイド・アセテート 等の工業原料となります。そして種子に含まれる 油は、棉実油と呼び大豆油に次ぐ重要な植物油で食用油・マーガリン・石鹸 等に需要が多くあり、棉実油を採取したあとの搾油粕は飼料や肥料に活用されます。