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(ウォード)が盛んに栽培され、葉を粉砕しボール状にして乾燥した「ウォードボール」を作りアルカリを還元剤に用いて染色していました。しかし、19紀以降にインド藍が輸入された事でウォードの染色は少なくなり、現在のフランスで「パステル」という染色技法として僅かに残っています。また、大青は、蝦夷大青とも呼ばれ、18世紀の中ごろ、中国から渡来したと言われています。古くは北海道に自生していたとも言われ、先住民族のアイヌ族が、それを使って藍染めをしていました。そして、「蝦夷大青(えぞたいせい)」の別名は、「北海道藍(ほっかいどうあい)」と言います。 4)山藍(やまあい) トウダイグサ科の多年草で、日本が原産地で万葉集や源氏物語にも出てくる植物染料です。「藍」とは呼びますがインディゴ色素は含まれていません。しかし、葉や茎を使って染色すると黄色・黄緑色・灰色に染まり、地下茎を天日干し銅媒染を行うと青色に染色出来ます。 5)合成藍・化学藍 石炭のコールタールから化学的に合成されたインディゴ色素です。1880年頃に藍の合成化学式が分析決定され、合成に成功し、1875年に量産化されました。インディゴピュアーとも呼びます。一般的にこの合成藍を用いて染めたものを「インディゴ染」と呼びます。 藍染の歴史 藍は、東南アジア原産です。古墳時代の終わりにシルクロードを経由し、インド・中国・朝鮮を経て日本に伝来したと考えられています。日本における藍染は、(蓼科の藍)を使用した染色品のことです。日本の藍染は、江戸時代に徳島県で盛んに作られました。江戸時代に盛んに作られた理由としては、庶民が華美を禁じられ、紫・紅・梅色 等の高貴とされて蓼いた色が使用不可となり、藍色が多く使用された事によります。そして、ごく薄い藍色を水浅葱(みずあさぎ)、少し濃くなった緑色を帯びた青色を納戸(なんど)、藍の濃い色を搗色(かちいろ) 等の伝統的な名前をそれぞれに名付けて大切にしてきました。また、明治時代に開国した日本に訪れた海外の人々は、藍染の鮮やかで深みのある藍色(青)を「ジャパン・ブルー」と賞賛した事で各地に藍染専門店(紺屋こうや)が出来きました。しかし、昭和初期に入り人工的に藍色を染める技術が誕生します。 |