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灰汁に浸して乾燥します。そして、これらの工程を数十回繰り返し、6-10か月間枯らし、紫根のもみ出し温液に浸して染料を吸収させて染め上げる方法もあります。 また、上代の染色には、灰汁以外に酢が使用され、その加減によって色相に変化が生じ京紫・江戸紫となります。 (灰汁は媒染剤として不可欠で、古く『万葉集』(巻12)に「紫は灰指(さ)すものぞ海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢(あ)へる児(こ)や誰(たれ)」と詠(よ)んでいます。) 仕上げを行った反物は、3年~5年ほどの期間熟成させ、「南部紫」と呼ばれる風合いの色になります。
注 紫根を使用せずに紫を染める方法(三原色の配合の理を応用)
まず、藍(あい)で浅葱(あさぎ)に下染めし、その上に蘇芳(すおう)あるいは茜(あかね)をかけ、藍の青と、蘇芳や茜の赤とで紫を出します。この方法は、江戸時代に盛んに行われ紫根を用いた「本紫」に対して「偽紫 (にせむらさき)」と呼びました。現在、紫根染めは文化財として残されている以外には合成染料になりました。




や行

*矢車附子(やしゃぶし)
熟した果穂が、夜叉に似ている事から名付けられました。3~4月の早春に黄色い紐状の花を咲かせ、古くから染料に使用していました。江戸時代には、五倍子に代わる黒染めの材料として使用されていました。(五倍 子は紫味がかった黒色になり、矢車附子は緑味がかった黒に染色できます。)水戸藩二代藩主徳川光圀公が愛用していたと言われる「水戸黒」は、藍染を下染めし、矢車附子で何度も染め重ねて染色しました。タンニン 分を多く含み、染着性が良い事から下染めの必要は有りません。そして、後媒染法による鉄媒染と染色を何度も繰り返す事で少しずつ黒に近づきます。アルミ媒染のベージュ・銅媒染の薄茶色・チタン媒染の杏子色・鉄 媒染の黒が染色可能です。
薄香(うすこう)    乾燥球果 / アルミ媒染
薄茶色        乾燥球果 / 銅媒染