戻る | 次へ |
幕末の「諸国産物番付」においては東の関脇として最上紅花の名があげられています。生産
量も非常に多く,各地に「紅花大尽」が現れるほどに最上紅花は近域の農業・経済に多大な影響を与えました。しかし幕末期には唐紅(からべに)や化学染料が輸入され、ベニバナの栽培も急速に
衰えていきます。 注:紅餅(べにもち) まず、紅花水洗い、紅花をむしろに並べ、紅花を臼でつきます。そして、紅餅作りは紅花の紅を取り出すための加工法の一つで、江戸時代に最も一般的な方法でした。 1)収穫した紅花に水を加えてよく踏み,黄汁(ベニバナの黄色色素分)を溶かし出す。 2)ザルに移してよく水で洗い,黄汁を十分に流す。 3)1・2の作業を繰り返し,よく黄汁を抜く。 4)日陰に寝かせ,二,三日おいて発酵させる。 5)酸化して粘り気を帯びた紅花を臼でつき,団子状に丸める。 6)丸めた紅花にムシロをかぶせて踏み,煎餅状にして天日で乾燥させる。 7)乾燥したものが紅餅(または花餅)。最上紅花は主にこの形で出荷する。 紅花の加工法は、単に生花を乾かすだけの乱花の方が簡単ですが、紅餅にして発酵させることでより鮮やかな紅を染色可能です。 紅餅作りは、古く中国晋代の『博物誌』に見られる伝統的な技法ですが、 行程や紅餅の形 等に地域の特徴があります。 注:紅花商人 最上紅花の最盛期には、生産地である出羽(山形)・加工地である京都 等に多数の紅花商人がいました。そして、紅花の受け取り先である京都では、紅花屏風を華山に依頼した伊勢屋理右衛門・伊勢屋源助家文書の伊勢屋源助 等の紅花問屋がいました。 注:万葉集では「くれなゐ」として紅花の歌が29首詠まれています。 外のみに見つつ戀ひなむくれなゐの末摘花の色に出でずとも(巻十,1993) くれなゐのやしほの衣朝な朝ななるとはすれどいやめづらしも(巻十一,2623) くれなゐの花にしあらば衣手に染めつけ持ちていくべき思ほゆ(巻十一,2827) 注:源氏物語 『源氏物語』第六段を「末摘花」といいます。物語中に出てくる女性を,鼻の頭が赤いことをあざけって“紅花のように末に赤い花(鼻)がある”「末摘花」と呼んだことからついた題です。 |