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以降に輸入や化学的に合成可能なアニリン染料が普及し急速に衰退しました。紅花の色素には、水溶性の黄色の色素サフラワーイエロー・アルカリ性水溶液に 溶ける色素カルタミンが含まれています。また、純度の高い紅色色素は表面が乾くと薄い構造色の膜が張り玉虫色になります。赤色の染色には、色素が水溶性である事を利用し、紅花を水に 浸け一晩放置し抽出し染色します。また、紅花をそのまま乾燥させた乱花の状態で染色するより、紅餅(紅餅は、摘み取った紅花を臼と杵で突く・踏むなどで潰し、一晩発酵させ丸め平たく 成形し、日陰で乾燥させたものです。)を用いる事で濃く紅色を染色でき、染料を冬まで保存可能になります。よって、収穫時期は夏ですが染色を冬に行う事ができます。そして、黄色の染色 には先媒染法によるアルミ媒染後、染色を何度も繰り返す事により濃色に染色できます。(植物繊維を染める際は、豆汁 等で下染めをします。)
紅        乾燥花 / アルミ媒染
韓紅       乾燥花 / アルミ媒染
黄色       乾燥花 / アルミ媒染
薄紅       乾燥花 / アルミ媒染
朱華       紅花 / クチナシ
二藍       紅花 / 蓼藍

注:最上紅花
最上紅花は、最上川中流域の村山地方で産出される特産の紅花の事です。紅花がこの地方に栽培されたのは、中世期末で18世紀半頃「最上千駄」といわれて生産量が増加し、その大部分は 京都西陣織の染料に使われました。 産地では、干し花(花餅)までを加工し、最上川を下り、酒田から海船で敦賀へ、さらに大津を経て京都へ運ぶのが主要な販路でした。この地方にベニバナ栽 培が発展したのは、最上川中流部が肥沃で、上方との商品流通が 水運を通して活発であったためです。幕末の「諸国産物番付」においては東の関脇として最上紅花の名があげられています。生産 量も非常に多く,各地に「紅花大尽」が現れるほどに最上紅花は近域の農業・経済に多大な影 響を与えました。しかし幕末期には唐紅(からべに)や化学染料が輸入され、ベニバナの栽培も急速に 衰えていきます。でを加工し、最上川を下り、酒田から海船で敦賀へ、さらに大津を経て京都へ運ぶのが主要な販路でした。 この地方にベニバナ栽 培が発展したのは、最上川中流部が肥沃で、上方との商品流通が水運を通して活発であったためです。