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日光の下で染色をするとより濃く染まります。)また、アルカリ性で青みがかった色合いになります。(古くから蘇芳で染められた色は、 退光堅牢度は低く、色褪せしやすい色です。)植物繊維を染める時は豆汁 等で下染めをし、先媒染法によるアルミ媒染でオレンジから赤・銅媒染で茶色・鉄媒染で紫味がかった灰色になります。 また、灰汁を少量入れることで成分のカリウムと反応しさらに赤みが増します。 緋色(あけいろ) 乾燥根 / アルミ媒染 朱色 乾燥根 / アルミ媒染 茶色 乾燥根 / 銅媒染 藤煤竹(ふじすすたけ) 乾燥根 / 鉄媒染 *正藍(蓼藍) 建藍は、東南アジア原産のタデ科の1年草で、古代エジプト時代から活用され、日本へは中国から2世紀頃に伝来し、藍染が行われるようになりました。そして、魏志倭人伝に「絳青(こうせいのかとり)の絳(あか)、 茜染めを指し)」と記述され、古事記の大国主命(おおくにぬしのみこと)の歌に「鳥(そにどり・かわせみ)の青き御衣(みけし)をまつぶさに取り装ひ」と詠われている「青」は藍染の色です。また、その頃の藍染は生葉をその まま摺りつける方法でした。その後、生の葉から採った液汁に浸けて染める方法に移行し、「発酵建て」へと変遷していきます。この頃の「発酵建て」は、奈良時代から行われた太陽熱を利用する方法で、夏期のみ行われていました。 室町時代には、収穫した蓼藍の葉を繊維発酵させて貯蔵する「すくも法」が取り入れられ、藍甕を地中に埋めて火を入れる方法で温度管理をし、四季を通して藍の染色が可能になりました。そして、庶民の衣料が麻・藤が主流であった 時代を経て、木綿が庶民の衣料として普及する江戸時代以降に木綿の染色として「藍染」が浸透していきます。また、木綿の普及は藍染を行う紺屋を各地に派生させました。この頃の藍の生産地は、京都の九条・播磨(姫路)でしたが、 時代と共に阿波徳島へと移行していきます。阿波(徳島)が主でしたが美濃・摂津・讃岐・伊予・筑後 等 各地でも藍染が行われるようになりました。特に阿波徳島の吉野川支流は、蓼藍の産地として知られています。藍は、小上粉・ 百貫・千本 等の様々な品種があり、現在では徳島・宮崎・北海道 等で栽培されていますが、年々生産量が減少傾向にあります。藍の色素は、「インデ |