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室町時代 1404年 勘合貿易が始まり、絹糸や紗 等が輸入されます。
勘合貿易とは、室町時代に行われた日本と明との間の貿易です。また、日明貿易(にちみんぼうえき)とも呼ばれ、倭寇や密貿易と区別し正式な遣明使船である事が確認可能な様に、勘合(勘合符)を使用したことから勘合貿易(かんごうぼうえき)とも呼びます。
輸出品 - 硫黄、銅などの鉱物、扇子、刀剣、漆器や屏風ほか
輸入品 - 明銭(永楽通宝)、生糸、織物、書物ほか
1532年 中国から輸入された絹糸を使用し、帰化人の指導で「博多唐桟」を織り始めます。
室町後期 阿波で藍の栽培が始まり、以降栽培が盛んになります。
綿の栽培が始まり、木綿布が織られ流通する事になっていきます。
中国や東南アジアから縞木綿が輸入され、この縞木綿は、「間道」と呼ばれ、名物裂として茶道具として珍重されます。
南蛮船が「更紗」を伝えました。更紗は、多彩な模様染めの木綿布で茶人や富裕層に愛用され、江戸時代に入り更紗の国内生産が始まります。
安土桃山時代 1570年頃 明国の職工が泉州堺に来日し、「縮緬・紗・緞子・金襴 等」の技法を伝えました。
1570年頃 「博多唐桟織」を帯に適した織り方に改良が加えられ、現在の「博多織」が出来上がります。
1592年 京都西陣で金襴織が始まります。金襴は、当時の武士・茶人に好まれました。
1592年頃 伊勢でも綿花の栽培が開始され、縞木綿を織り始める。後に「伊勢木綿」と呼称される。
 1573~
99年
小袖に模様を染める「辻が花」を織り始めます。「辻が花」は、絞り染めを中心に描絵・摺り箔・刺繍 等を加えた染め物です。また、江戸時代に「辻が花」の技法は、「友禅染」の技法へと繋がっていきます。