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平安時代 799年 崑崙人が三河地方に漂着し、綿の種を伝えたそうです。しかし、この品種は生育しなかったと言われています。
10世紀頃 襲の色目(かさねのいろめ)が流行り出す。色目(いろめ)とは、十二単などにおける色の組み合わせを指し、衣を表裏に重ねるもの・複数の衣を重ねるもの・経糸と緯糸の違いによるもの 等があります。当時の絹は、非常に薄く、裏地の色が表に透け独特の色調が現れたようです。
*注:基本色として
青は、キハダなどで下染めした上に藍をかけて色を出し、やや青みがかった緑です。
蘇芳は、マメ科の熱帯植物スオウから採取した染料で染め、濃蘇芳は黒っぽい赤紫、中蘇芳(蘇芳)は鮮やかな赤紫に近いピンク、淡蘇芳は紫味のピンクです。
萌黄は、黄緑色です。
紅梅は、平安時代は紅梅の花のようなやや紫がかった濃いピンクでした。
朽葉は、黄色い落ち葉をさす色で、赤みがかったあざやかな黄色です。
10世紀前半 宮廷の「延喜式」で、「宮廷に越後布・越後国商布一千段が上納」という記述が残されています。越後国での麻織物の歴史は古く、越後国久疋郡から朝廷に献上された「越布」が正倉院に収められています。
10世紀 長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)と呼ばれる織物を織り始る。絁とは、太い絹糸で織った粗布の事で、結城地方に伝わり結城紬となりました。絁は「常陸紬」と呼ばれたと「庭訓往来」に記述が有ります。
鎌倉時代 1192年 源頼朝が勅使に餞別として、越後上布を送ったと「吾妻鏡」に記述があります。
12-13世紀 黒に近い「褐色」が、戦の「勝色」に繋がるとして武士の間に人気となります。