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南部紫紺染・茜染 (なんぶしこんぞめ・あかねぞめ)

紫根や茜を染料とし、絹や木綿地に染色した紫系が中心の縞柄の織物です。後染(布染)の絞と、先染(糸染)の紬があります。手紡ぎの紬糸を紫根などの植物染料で染め、手機(高機)で織られています。糸染は、紫根染で行う事から南部紫根染とも呼ばれています。縞柄は、京都から技術者を招いたことで誕生しました。現在では、布染は盛岡市の藤田家・糸染は下閉伊郡岩泉町の八重樫家によって伝統を維持しています。しかし、伝統的な岩泉南部紬は、現在後継者がいない為に織られていません。但し、花泉南部紬(西磐井郡花泉町)は、その伝統を継承しています。

注:「後染(布染)」
布地に青花(ムラサキツユクサの花からとった汁)で下絵を描き、木綿糸で縫い巻絞り、竹巻きなどの手法で絞ります。染液に浸して染色をし、糸をほどいて湯のしをします。
注:「先染(糸染)」
糸を灰汁に浸し天日でかわかす作業を3回行い、その後豆汁に浸し天日でかわかす作業を3回行います。下染後1年間ねかせた糸を本染します。本染めは染液に五・六回漬けて陰干しを行います。高機で織ります。
注:紫根染
南部藩の重要産物として発展し、京都朝廷や江戸幕府への献上品上納品・諸国大名家への土産品として珍重されていました。日本に古くから伝わる草木染で「ムラサキ」という植物の根で染めます。下染めに半年かけ、絞りに2〜3ヶ月かけます。染めの工程を12 回繰り返し、仕上げ後は数年ねかせます。姉妹染の茜染も同様に仕上げられます。
注:南部紫染
岩手根紫(いわてねむらさき)として、鎌倉時代頃始まり、南部信直以後保護奨励され、豊富な自生の紫草根・独自の染技法(大桝・小桝・立桶)の単純素朴な絞りで「南部紫」と呼ばれました。
注:南部茜染
南部地方への伝来は、鎌倉時代以前と言われています。南部藩政時代に藩の手厚い保護の下に生産されていました。明治時代に保護が解かれてからは、盛岡地方には伝統技法を伝える人が完全に途絶えしました。しかし、大正5年に、紫根染の研究が始まり、秋田県の花輪地方に残っていた技術者から学び大正7年「南部紫根染研究所」が設けられました。

注:南部紫根染解説書
『岩手むらさき』ノ名、鎌倉時代己ニ天下ニ周知セラレタル事、当時ノ文書ニ明ラカナリ。300年前、南部公盛岡治城以来、国産トシテ特ニ之ガ保護奨励ニ力ヲ盡サレタルニヨリ、終ニ南部紫ヲ以テ称セラル。糸治紫草園ハ藩政時代ヨリ国産トシテ『本紫根絞染』・『本茜絞染』等ノ制作維持ニ努メ来リシガ、更ニ其研究奨励ノ為メ、大正5年11月『南部紫根染研究所』ヲ設立シテ益々優良品ノ製出ニ努力シ、以テ今日ニ現存セリ。