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八重山上布(やえやまじょうふ) |
起源は不明ですが、人頭税(1637年開始)の貢納布の中に八重山上布の名が記載されている為、それ以前から織られていると言えます。八重山上布の中でも茶絣は
、薩摩藩を通して「薩摩白絣」・「錆絣」の名で日本国内に知られていきます。 八重山上布の本来の製法は、織りあがった上布を天日乾燥し、海水に浸して色止めを行う「海晒し」で仕上げるというものでした。野外でダイナミックに行う作業の為、これらの布織に関する歌が現在でも二十数曲残っていいます。明治36年の「人頭税の廃止」 により八重山上布は大きく発展しましたが、第二次世界大戦で衰退していきます。沖縄の本土復帰後、島の若者たちが伝統技術の保護の為に活発な復興活動を続けています。 変 遷 八重山上布の起源は、宮古上布と同様に明らかでは有りません。薩摩藩の侵略により、八重山でも厳しい人頭税が課せられ貢納布制度が定められました。当時の琉球王布から送られてきた御絵図を基に、その柄を忠実に織り上げました。八重山上布 は、宮古上布と同じく苧麻糸を素材としています。その大きな相違点は、「宮古上布は、紺地絣の織物」・「八重山上布は、白地を基調」という点です。染色技法には、「摺込み捺染」と「括り染め」の二種類があります。「括り染め」は、一般の絣の染色技法と 同じで、「摺込み捺染」は、クール(ソメモノイモ)等の染料を直に糸に摺り込んでいく方法です。「摺込み捺染」は、明治初頭から能率よく織物を織る為に用いられました。逆に「括り染め」が無くなっていきます。(現在の八重山上布は、「括り染め」も復活 しています。) 織り上がった布は、5月頃天日乾燥し、海水で色止め(海さらし)を行います。上質の苧麻織物である八重山上布は、亜熱帯沖縄の気候に合った清涼感あふれ、軽くて風を通しやすい事で親しまれています。 染色法 クール、紅花、福木、藍など。 |