戻る



八重山ミンサー


八重山ミンサーの起源は、沖縄で綿花が栽培され始めた約400年前頃と言われています。アフガニスタン地方や中国の「織の技術」が伝来し、 独自の発展を遂げたとも言われています。ミンサーは、沖縄各地に伝わる伝統的な「織の総称」です。沖縄本島における織物(ミンサー)の殆どが紋織りで、八重山ミンサーは平織で主に綿を原料とします。一時期には消滅寸前にありましたが、1970年 頃から暮らしの中での工芸品、または民芸品として注目を集め、次第に普及し始めました。平成元年に国から伝統工芸織物として指定を受け、八重山地方のミンサー織りは、「八重山ミンサー」と呼称が統一されました。
ミンサーのミンは、中国語で「綿」、サーは「狭」という意味を持っています。また、ミンサーは「木綿の細帯」を指します。八重山ミンサーは、「幅およそ8.5センチ・長さ約230センチ」の細帯で、真田紐に似た経畝織の木綿織物となります。藍染の紺 地の両耳には、ムカデ模様と呼ばれる段々縞(四角の絣模様)が織り出され、その中に五つ玉と四つ玉の絣が交互に織り込まれています。五つと四つの絣の意味は、「いつの(五つ)世(四)までも末永く」、1本1本心を込めて織り、愛する人に思い を託した女性の愛の印と言われています。また、結婚する時に、花嫁が花婿の家族や親戚に贈る風習もあったとも言われています。細帯に施された二本の縦筋には、「道を踏みはずして浮気などすることなく」という意味が込められ、ムカデ模様といわ れる帯の両耳についた横段縞には、「足繁く通ってほしい」という願いが込められていると言われています。
染料には、おもにインド藍・琉球藍・福木・クール等が使用されます。