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読売山ミンサー(読谷山花織)

読谷山(よみたんざん、ゆんたんざ)は、沖縄県中部にある読谷村の旧名です。1372年、読谷の長浜港から一艘の進貢船(泰期を中心とする若者達)が、 琉球王府の王弟として初めて中国と交易を行ないました。この交易が、琉球王国と中国の歴史を形成する発端となったと言われています。そして、東南アジア諸国との南蛮交易で交易品と共に「花織布」が伝来し、独自の技法と デザインで織られるようになったと言われています。この織物は、琉球王府の保護のもと御用布に指定された約600年の歴史を誇る織物です。読谷山花織は、かつて王府の御用布に指定され首里の王侯貴族と読谷の人々しか着るこ とが許されなかったと伝えられています。
染料は、おもにティカチ(車輪梅)・琉球藍・ヤマモモ 等です。現在は、化学染料も使われているようです。素材原料は、綿糸と絹糸です。
織物の特徴は、藍染の紺地に赤白黄緑の色糸を浮かせて織る花織で、「小さな点のまとまり」が柄を表現しています。花織は、銭花・風車・扇花の3つを基本として30種類の模様があり、格子や絣を取り入れる事で布に表情が 出ています。また、花織手巾(ハナウィティサージ)も織られています。ウムイティサージ(想いの手巾)は、女性が愛する男性に送り、ウミナイティサージ(祈りの手巾)は、旅に出る家族や愛する人の安全を祈って織られて いました。


喜如嘉の芭蕉布(きじょかのばしょうふ)

芭蕉には、「花芭蕉・実芭蕉・糸芭蕉」の三つの種類があります。昔から沖縄の人々に広く親しまれてきた芭蕉布は、糸芭蕉の繊細 さから織られた織物です。布地が粗い事で生み出される通風性が、芭蕉布の最大の特徴です。芭蕉布は、真夏でも布が汗ばまず、ヒンヤリとした感じを与えてくれます。着尺地には、「生芭蕉・縞芭蕉・絣芭蕉」の三種があります。 生芭蕉は、経緯糸とも芭蕉を用いて織った生地です。縞芭蕉は、経緯糸とも芭蕉を使用したものと、綿糸を交織したものとがあります。絣芭蕉は、芭蕉のなかでも特に厳選したものを使用しています。いずれも、沖縄独特の琉球藍 やテーチ木などの植物染料が使われます。また、天気がよいと糸が乾燥し切れ易くなる事から微妙な糸加減を必要とします。このため「織り」は、機械が使用出来ず、全て手織りとなります。厳しい忍耐と注意力を通して織りあげ られる柄は、素朴で力強く、深い伝統の風情が感じられます。材科である糸芭蕉は、苧麻と共に自生していたという説と、中世に交易により南方から移植されたという説があり、明らかではありません。 しかし、いずれにせよその 歴史は古く13世紀頃から始まって、江戸期には庶民の衣生活に欠くことのできないものとして普及していました。戦前までは、沖縄全島で芭蕉布の生産が見られ、中でも「首里・喜如嘉(きじょか)・今帰仁(なきじん)」が三大産地 と言われていました。しかし、戦後に入って急速に衰えて行きます。現在では、古くは上物の産地として知られた「喜如嘉」の村のみに受け継がれています。
芭蕉布の行程は、全て手作業で厳しい忍耐と注意力が要求されます。中でも「喜如嘉の手結」と呼ばれる「紬括り」は絵図を使わず、頭のなかに模様を計算して絣を括っていく方法です。 多年の勘と経験を必要とする昔ながらの技 法は容易に体得出来ないそうです。芭蕉布は、植物の「糸芭蕉」からとれる糸で織られます。芭蕉には3種類あり、実芭蕉(バナナ)・花芭蕉・糸芭蕉があります。芭蕉布は、糸芭蕉を使用します。糸芭蕉は、刈り採り時期になる と原木を倒し、繊維を取り出します。上質な繊維になると着尺に使われ、その他は座布団などの小物、帯地やネクタイ等 に繊維の質で分類されます。糸芭蕉から原皮が採れるまでには約3年の成熟を待たなければなりません。さらに 着尺一尺分に約200本の原木が必要とされます。染料には、主に琉球藍と車輪梅(シャリンバイ)が使用されます。糸芭蕉の「繊維の色」を地色とし、紺(琉球藍)と茶(車輪梅)等で絣模様を表現します。

染色法まとめ

・染料は、沖縄産の琉球藍(キツネノゴマ科)とテチカ(車輪梅)の二種類である。
・糸芭蕉の繊維の色を地色として、紺と茶で絣模様を表す。
・絣模様は経絣、緯絣、経緯絣、綾中の四種類がある。
・絵図を用いず、絣柄にしたがって計算し、絣くくりを行い染色する。