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小千谷紬(おじやつむぎ) |
紬織物は、江戸時代中期に始まった養蚕と並行して製織し始めました。小千谷は江戸時代後期、現在の群馬県にあたる上州や京都等の織物の盛んな所から生糸商人が商談に訪れるほどの繭産地でした。くず繭を使った紬は自家用として製織され、小千谷縮の技法が使われていました。紬織物は小千谷縮に隠れた存在でしたが、昭和の初期には本格的に紬の生産が始まりました。そして、紬糸に改良を重ねる事で現在の紬織物の基本が出来ました。 紬に用いる糸は、繭を綿状にしてから作られるため、糸に膨らみがあり、軽く暖かな織物が出来ます。繭を裂き、綿状にしてから糸にして紡(つむ)ぎ、真綿の風合いを出します。柄模様は、織る前の糸に木羽定規(こばじょうぎ)を合わせて、糸に直接染料を摺り込みます。色止めし、織幅の端の目印となる「耳しるし」を合わせながら織ります。 古い伝統技術が受け継がれた製造工程は 1) 経糸は真綿の手紡糸または玉糸、緯糸は真綿の手紡糸を使う。 (真綿を指先でていねいに引き出しながら、極細の最高級糸にする。) 2)絣糸は緯糸に使う場合と、緯糸および経糸に使う場合がある。いずれも染色は「手括り」および「手すり込み」が用いられる。 3) 柄模様に基づいて防染個所に印をつけるには、経糸は「経定規」緯糸は「木羽定規」を用いる。 4) 機織りは、緯糸を一本一本耳部を合わせ、柄合わせをして織る。 5)木舟にぬるま湯を入れ、反物についた余分なのりを落とし、乾燥後砧打ちをして、真綿本来の風合いを出す。 |
十日町絣(とうかまちかすり) |
十日町絣は、伝統的な美しさと現代の感覚を融和させて作る民芸調の絣織物です。予め整経された経・緯絣糸を張り台にかけて、図案によって作られた経緯絣定規に合わせながら、指定された配色に従って、交互に動かしながら摺込捺染(すりこみなっせん)します。ついで、摺込捺染した所を綿糸または平ゴムで固くくびり、浸染(しんせん)により地色を染色します。次に製織のための準備工程を経た後、手作業により経緯の絣を合わせながら織り上げます。 越後縮の絣技術が定着したのは18世紀前半で、絹織物に応用されるようになったのは19世紀後半の経絣織が成功してからと言われています。そして、明治初期に緯絣も織られるようになりました。この時期、絣技術の進歩はめざましく、「突絣(つきかすり)」の技法も作り出されました。くびり糸には、当初、油紙、苧麻糸(ちょまいと)、笹の葉等が用いられていましたが、大正時代に入って綿糸、平ゴムがこれに変わりました。 「伝統工芸品としての特徴」 ・次の技術又は技法により製織されたかすり織物とする。 (1) 先染めの平織りとすること。 (2) かすり糸は、よこ糸又はよこ糸及びたて糸に使用すること。 (3) たて糸のかすりとよこ糸のかすりを手作業により柄合わせし、かすり模様を織り出すこと。 ・かすり糸の染色法は、手作業による「くびり」又は「摺り込み」によること。 ・ 「本しぼかすり」にあっては、「地よこ糸」は「お召緯」を使用すること。 ・ 「お召緯」に使用する糸は、「八丁式撚糸機」により下撚りをした後、布のり、わらびのりその他の植物性糊料を手作業によりもみ込むこと。 ・使用する糸は、生糸、玉糸若しくは真綿のつむぎ糸又はこれらと同等の材質を有する絹糸とすること。 |