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能登上布(のとじょうふ)

崇神(すじん)天皇の皇女が能登の旧・鹿西町(現・中能登町)に滞在した折に、真麻の上布を織る事を地元の人に教えたのが能登上布の始まりと言われています。元禄年間には鹿島郡や羽咋郡など中能登の女子の副業として発展し、近江商人が全国に販路を広げていきました。夏のふだん着である上布は、生活の洋風化とともに和服を着なくなったことから次第に衰退しています。明治以降、独特の櫛押捺染(くしおしなっせん)や板〆(いたじめ)・ロール捺染・型紙捺染などの手法を取り入れました。亀甲絣(きっこうかすり)や十文字絣・横惣(よこそ)・縮(ちぢみ)などが生産され、特に織り幅に十文字絣を120個から140個織り出す絣合わせの正確さは比べようのない技術を必要とします。その技術は、昭和35年(1960)に石川県の無形文化財に指定されています。

「染色の技法」櫛押捺染は、能登特有の古来の技法です。
1、板締め…彫刻された絣板に糸を巻きつけ、更に両面から木板で締め付け、必要なところだけ染まる様にした物です。
2、丸型捺染…柔軟性とねばりのある銀杏の気を長いロールにし、柄を彫刻して凹凸を作り、これに染料を付けて糸の上を転がして行う手捺染です。
3、型紙捺染…模様を彫った型紙を、何百本と並べた糸の上に置き、捺染する方法で、この方法は越後から取り入れた技法です。
4、櫛押捺染…櫛型をした木版の先端に染料を付け、平面に何百本と並べた糸の上に、木板を押す様に捺染します。
上布の本絣は、上記1・2・4の技法を用います。
緯総絣は、上記3・4を用います。

*捺染(なっせん)
色法の1つで、糸や布に染料や顔料を使って、種種の文様を染め出す方法。


士乎路紬 (しおじつむぎ)

能登半島は、別名「士乎路」と呼ばれます。この半島の入り口近くで、故水島繁三郎氏によって生み出された士乎路紬は、約40年に渡る草木染と伝統織物に高分子工学の専門知識を生かした糸にタンパク質加工を施した手引き真綿の結城紬糸を使います。 染色には“烏の濡羽色”と云われる泥染大島紬の光沢を使用します。
しかし、大島紬と同じ染色法を採用しますが、テーチ木(車輪梅)と泥の科学分析により一連の染色工程を大幅に簡略化しています。日本ではテーチ木は、貴重な樹木で高価な為、士乎路紬はマレー半島などの熱帯地方テーチ木を使用しています。しかし、熱帯地方のテーチ木は色素が多く、泥との調和に必要なタンニン酸の含有量が少ないそうです。タンニン酸不足を補う為、モモタマナ(桐の木に似ており、タンニン酸の含有量が非常に多い)を煮出してテーチ木と結合させて使っています。泥はX線で分析し「泥エキス」を作り媒染剤にしています。よって士乎路紬は、草木染料や泥の科学分析・調合で確実に色を出す事が可能です。また、染色はテーチ木による泥染めのみでなく多種類の草木染めも利用しています。
<染料>
・茶系  サルトリイバラ
・黄   ウコン
・赤紫  蘇芳
・黄   くちなし
・紫系  紫草
・鼠色  樫

注:大島紬の泥エキス
成分によって染めあがりの色が微妙に異なります。例えば泥エキスがアルカリ性の場合は、草木染めによる色はそのまま出てきますが、鉄分が多いと色合いは少し濁り、銅系の泥エキスだと茶色がかった色になります。