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片貝木綿(かたかいもめん)

新潟県小千谷市の片貝町、で紺仁工房生産している木綿織物です。経糸に三種類の太さの違う糸が規則的に配置され、表面にわずかな凸凹があるため、さらりとしてべとつかないのがいいところです。絞り染や松煙染などの後染のものもあります。綿花を「ぶんぶん」と呼ばれる手紡ぎのための道具で糸にし、縞木綿や紺無地木綿を織っていたのである。また、白木綿も織られ、伊勢型で型付けをしてから藍染がなされていた。 最近では、松煙染や紅柄も工夫されている。
「参考」
越後正藍染とは宝暦元年(1751年)に、越後の国浅原の荘片貝(現在の小千谷市片貝)で、松井仁助が藍染を始めたといわれ,、信濃川の流域では綿花が盛んに栽培され、収穫された木綿を藍染する紺屋が周辺に7、8軒ほどありました。雪深い越後は本来藍染には適さないのですが、この自然条件を克服し独特の染色方法を生みだし完成させたのが越後正藍染です。
天然藍の中でも黒ずんだ力強い藍の色に特徴があり、全国で珍重されています。これを「紺仁平織紬(こんにひらおりつむぎ)」と呼び、200年前から越後片貝地方に伝承する木綿紬です。阿波正藍・刈安・蘇芳・紅花などの植物性染料を主に使用した染色手法を用います。藍瓶のアルカリ液中に溶解させ、白藍としてこれに糸や織物をつける「藍だて法」を使用しています。青藍で染めて、空気中に晒す事により、白藍は酸化します。初め緑色からしだいに青色となり不溶性の青藍となります。藍染はこの理を応用したもので、古くから使われ、特に亜鉛建は藍だて法の1つとしてよく用いられます。

栃尾ちぢみ(とちおちぢみ)
1500年ほど前から栃尾で天然繭を採り、紬を織っていたと伝えられ、織物産地として発展します。その中の「栃尾縮み」は、大正時代に撚糸加工によって「白生地ちりめん」が開発されて栃尾の「緯絞縮緬」(縦にちぢみを入れている)として発展します。
山辺里織(さべりおり)
1800年代から新潟県村上市山辺里で織られ、村上藩により奨励され発展していったといわれています。当時は、村上平や村上縞と呼ばれていたそうです。1876年に、山辺里織と名付けられ、 日本だけでなく海外にまで輸出されるほど盛んに生産されていました。 糸づかいは、本練と半練の二種類があります。しゃっきりとした風合いの織物で、男性用の絹袴地として用いられます。平織、綾織、絽織があり、紺地に茶、またはねずみ色の縦縞が多いようです。