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山北科布(さんぼくしなぬの) |
科の木の樹皮繊維で織った木綿、麻よりも古い織物です。染料による染色はせず、「科の木」本来の黄褐色をしています。樹皮の糸である科糸は、動力機械で織る事が出来ず居座機で手織で織ります。硬くゴワゴワしていますが、しなやかで強くさらりとしている事から、仕事着・肌着・蚊帳・荷縄などに使用されて来ました。
科布の歴史は古く、一千年以上も昔から日本各地で自家用として織られ、明治維新後の近代化が進むにつれて姿を消し、現在では二、三か所の山里でのみ織り続けられています。
しな布(科布)は、フジの皮やコウゾ、アサなどの繊維で織った藤布、楮布、麻布 などの古代織物(原始織物)の一つです。1400年の歴史を持つといわれる「しな織」(染料による染色はせず、「科の木」本来の黄褐色をしています。樹皮の糸である科糸は、動力機械で織る事が出来ず居座機で手織で織ります。)が、山北町に伝わった時期は定かではありません。 古くは、北越の各地にが見られたともいわれていますが、現在では、羽越国境である山北町と山形県の一部の集落に織り継がれています。 注:しな布の原料であるしなの木は、地方によりマダ、マンダ、モウダなどと呼ばれ、日本列島の山間部に自生している喬木で、織糸は樹皮繊維であることから、歴史的に北方系の織物であり、アイヌ文化圏に属する織物であるともいわれています。 (しなの語源がアイヌ語で「結ぶ・しばる」などの意味を持つ) |
五泉平(ごせんひら) |
五泉の絹織物の起源は、250年前に織られていた葛織という袴地であると言われています。五泉平は、その葛織に改良を加え1780年頃に完成された・仙台平に独自の工夫を凝らして完成されたとも伝えられています。五泉平の技法は、多くの織物受け継がれていきます。(竜門・斜子の白生地は「絽、八ツ橋、羽二重」)現在、伝統的な五泉平を織っているのは僅かです。染色は、植物染で絹袴地が主流です。色合いが深くなめらかで、しっかりとした光沢を持ち、黒・茶・灰色などに染め分けます。
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加茂木綿(かももめん) |
素朴で堅牢な木綿織物で、着尺には経縞を、夜具地には格子縞や緯縞が多く使われます。(農作業着、作業着、手袋、民芸品など) 江戸時代から広く用いられ、全盛期は大正末期で 明治22年に紡績糸が輸入されると紡績糸を経糸に、和糸を緯糸に使うようになりました。輸入の経糸を用いた縞木綿が加茂縞と呼ばれる様になりました。 |
越後マンガン絣(えちごまんがんがすり) |
織絣と区別がつかないほど精巧な染絣です。白絣が主で夏の着尺地に用いられます。 大正4年に矢島丑松(見附市 在住)によって、マンガン化合物を染色に利用したマンガン絣を発明しました。大正末期から昭和初期にかけて、他の地域でもこの技術が導入され絹織物に応用されました。しかし、夏の着物需要の減少で1部の地域のみで継承されています。 「染色法」 1、マンガン染をした麻糸、あるいは綿糸を用いて織りあげる。 2、模様型紙と塩化アニリン糊を用いて型置き、捺染する。 3、乾燥させたのち、亜硫酸ソーダ液に浸す。捺染した部分のみが残り、ほかは脱色して、絣状になる。 |