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「伝統工芸品としての特徴」
・製織は、次の技術又は技法によること。
(1) 先染めの平織り又は綾織りとすること。
(2) よこ糸の打ち込みには、「手投杼」を用いること。
・染色は、手作業による浸染とすること。この場合において、染料は、コブナグサ、タブノキ又はシイを原料とする植物性染料とし、媒染剤は木灰又は泥土とすること。
・使用する糸は、生糸、玉糸、真綿のつむぎ糸又はこれらと同等の材質を有する絹糸とすること。

注:1077年に国の伝統的工芸品に指定されました。1984年は作家の山下めゆ氏が東京都の無形文化財にも指定されました。
注:黒八丈(椎の木染)
椎木の皮を剥ぎ、煮詰めて染料を作ります。実際のふし付けは40回。まず、たるに絹糸を沢庵を漬けるように平らに並べます。その上に熱湯になった椎の木の煮汁をひたひたになるほど掛け、その上に、糸を互い違いに載せます。一回ごとに椎の皮を代え、煮汁を作り、染めると言うこの工程を40回繰り返し、最後に八丈島の泥田(鉄分が入っている)から持ってきた泥水に漬け込んで色止めをし、仕上げます。
注:鳶八丈(タブの木)
鳶八丈と言われる樺色は、タブの木の皮で染料をとり色付けされます。
染色工程は、黒八丈と同じ。工程を25回繰り返し、最後に染料に使った木の皮を焼いて灰汁をとりこれに糸をつけると鳶八丈の色が仕上がるのです。
注:黄八丈と鳶八丈
黄金色が主な色調の黄八丈、茶色が鳶八丈・黒が黒八丈と呼びます。室町時代から八丈島は、古くから都からの流人によって絹織物の技術がもたらされ、絹織物の生産に優れ、室町時代から貢納品として八丈の絹(白紬)を納めていたそうです。寛永年間にはタブノキ(八丈島ではマダミと呼ぶ)の樹皮を使った鳶色の織物が織られるようになり、現在の黄八丈に使われる染色技術が完成されたそうです。当時この黄八丈を手にすることが出来たのは将軍家と武家大名、御殿女中と言うごくごく限られた人々でした。その「黄八丈」が大ブームを巻き起こしたのは、歌舞伎の衣裳に用いられた時期と一致します。(当時大人気だった名女形が「八百屋お七」と「白子屋お熊」を演じるときにこの山吹色の黄八丈を着用した。)
黄八丈の黄色は、ほかの地方では雑草扱いされるコブナグサというイネ科の一年草から染色した糸を使用します。(カリヤスにちなんで八丈刈安と呼んでいます。)初秋に糸を染め始め、椿などの灰で「灰汁付け」(媒染)します。鳶色は、タブノキの樹皮が原料で、何度も染液に漬けては乾燥させて赤みがかった濃い茶色を染めます。黒色は、「泥染め」(鉄媒染)で染色します。スダジイの樹皮で染めた糸を自然の沼で「泥付け」して泥の中の鉄分とスダジイのタンニンを結合させることで黒が得られる。ちなみに泥染めで黒を染めると糸が脆くなり、黒染めの古布は現存しにくいそうです。
黄八丈は「染と織」の二段分業体制で行われています。
「染」
植物の栽培から刈り取り、染料への仕込みその他一貫して担当する。八丈島で染が行われるように成ったのは、水が綺麗で豊富にあることからでした。昔は島で養蚕もしていたので、温暖な島の気候を利用して年に3回糸を取ることが出来、染色も1年を通して行われていました。
「織」
織は女性の仕事。女の子が生まれると一家で大歓迎。織手が一人増えると大変喜んだそうです。織の種類は500種あり、現在でも柄見本帳が残っています。最盛期は一年で1500反もの生産を行っていましたが、現在では年間700反。需要に生産が追いつかず主に受注生産体制に近い状態になっています。
現在では「めかご」「平織」「綾織」「丸まなこ」「市松織」「本高貴(ほんごうき)」「風通崩し(ふうつうくずし)」「足高貴(あしごうき)」と言う織柄が中心です。普通は4つの足を使いますが、この中で「足高貴」だけは平織りに8本の足を使って織り上げていく複雑な織で 時間と手間が一段と掛かっています。