戻る | 次へ |
桐 生 織 |
714年に上野の国(群馬県)が「あしぎぬ」を調として納付し、905年に租税制度の税は「あしぎぬ」と定めた事が、続日本紀に記載されています。桐生は、足尾山麓を源とする渡良瀬川と桐生川との流域に囲まれている地域で、耕地面積は少なく土地も痩せていた為に「養蚕と機織り」を副業として生活をしていました。奈良時代、宮中に仕える白滝姫が桐生の山田家に嫁ぎ村人に養蚕や機(はた)織りを伝えたのが始まりと伝えられています。 桐生は、足利家との関わりで織物産地として発展します。(足利幕府からの織物の注文書(1575年)が歴史的に残存しています。) そして、鎌倉時代末の「新田義貞の旗揚げ」・関が原の合戦の「徳川家康の籏布(白絹(しらぎぬ)の旗)」桐生絹が使用したと伝えられています。さらに19世紀前半には幕府の保護もあって、金襴緞子(きんらんどんす)や糸錦(いとにしき)のような高級織物を生産するようになり、この技術・技法は今の桐生織に引き継がれています。 桐生織の特徴は、生糸・絹糸を主な原料とし、デザインー>紋紙ー>機拵(はたごしらえ)等の準備工程を経て、撚糸(ねんし)―>染色ー>糸くりー>緯糸管巻き(よこいとくだまき)ー>整経を経て織り上げられます。 お召は、八丁撚糸機(はっちょうねんしき)で撚(よ)りをかけた緯糸を使い、製織後シボ取りをします。 ・「織り方」 1) お召し織(おめしおり) 徳川十一代将軍・家斉が好んで着用(お召し)になったことから「お召し」と呼ばれるようになりました。細かいシボが特徴で、緯糸を八丁撚糸機で撚ってシボを出します。緯糸は、八丁撚糸機で撚っています。また、縮緬以上の独特な光沢と腰を出すために、経糸の密度を1cm間100本以上使用しています。 2)緯錦織(よこにしきおり)または(ぬきにしきおり) 日本では奈良時代から作られ、よこ糸で色と模様を出す錦です。多くの色彩と大きな文様を織り出すことが出来ます。帯が中心で、ジャガード機で織る先染紋織物です。8色以上の緯糸を用い豪華な仕上がりとなります。紋様は、手なげ杼や引杼で製織したり織緯糸を用い作られます。 3)経錦織(たてにしきおり) たて糸で色と模様を表した錦で、ジャガード機で織る先染紋織物です。ジャガード機紋様は経糸で表現します。経糸は3色以上、緯糸は2色以上で、経緯交互に打ち込まれます。 中国では、漢から隋の時代に盛行した技法だそうです。三色を使い織り方が複雑な事から緯錦の発達によって衰えました。 4)風通織(ふうつうおり) 2色以上の経糸と緯糸を使用し、経糸の密度が1cm間120本以上で、緯糸の密度は1cm間40本以上使用した二重織・三重織の織り方です。色の異なった織り方を交互する事で、わずかな隙間のできる袋状の組織を生み出します。 |