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信州紬(しんしゅうつむぎ) _2
本藍染と草木染の特色ある染色技法で、色が褪せず堅牢であった為に、昭和25年頃軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことが提唱され、草木染や媒染材の研究、生産量の増大、販路の開拓が盛んであったと言われています。明治以 後は、機械織りに押され、第二次世界大戦の影響もあり衰退しますが、昭和30年代から復興に取り組み始めます。

ー 技 法 −
繭から真綿を作り、そして真綿から手引き、もしくは機械による手紡ぎ糸を作り、緯糸にします。経糸は、生糸、又は玉糸を引き揃えて撚りをかけ、精錬をします。精錬の方法は、撚り済みの糸を「練袋」に入れ、灰汁か石鹸の入 った釜に入れて40〜50分程煮沸します。絣の場合、経糸・緯糸を長く伸ばした束に、種糸をあて、種糸の印通しに墨付けをします。染色は、昔ながらの植物による草木染と合成染料が用いられています。製織は、高機による手織 り、機械による機械織りと両方で行われています。

2)山繭紬(やままゆつむぎ)
山繭紬は、天蚕という野生の蚕が作り出す糸を紡いで織る紬です。
天蚕は、クヌギ・ナラ等の葉を食べ、繭を作り、色は黄緑色をしています。山繭糸は、家蚕糸に比べて丈夫で光沢があり、織り上がった布は、軽くて暖かい特徴がある反面、染まりにくい欠点があります。この特性を逆に生かして、 普通の絹糸と交織し、染色すると、織物の一部が模様となって一風変わった織物が出来上がります。現在では、この山繭で織る織物は、長野県の有明地方のみになりました。
天蚕の飼育は、江戸時代の1780年代からと言われています。土地の土壌が農作に不向きな為、人々は山のクヌギ林を燃料用の薪以外に利用しようと天蚕を飼育し始めました。明治時代になっても織り続けられていましたが、明治 10年代頃に中国から「柞蚕(さくさん)が輸入され飼育され、家蚕糸として一般に流通します。これ以降、家蚕糸と交ぜた織物を“山繭紬”と呼ばれる様になりました。現在は、野鳥から天蚕を守る為にクヌギ・ナラ林に防虫ネット を掛けたりして、山繭作りを保護しています。

ー 技 法 −
経糸には、家蚕糸を用いることが多くなって来ていますが、天蚕糸を撚り合わせて使用する場合と天蚕糸を全く使わない場合の2種類あります。緯糸は、家蚕紬糸を用い、その中に天蚕糸を織り込みます。染色においては、草木染と 化学染料の2種類あり、両者の併用もあります。天蚕と家蚕の混合紬糸を染色すると、1本の糸の中で濃淡が生じ、これが絣や霜降り風に見えるので、デザインの特徴となる効果を発揮します。