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綿が栽培され売買されるまで 注:「農文協」データベースを参考
1)綿圃要務
綿作最盛期の天保4年(1833)大蔵永常の著書「綿圃要務」に以下の様に記述があります。
綿の栽培全般について,とくに気候や 土壌などの自然条件や収穫高を左右する品種・播種量・播種期・施肥・綿木の仕立て方などを重視して書かれています。さらに当時の日本の産地の中心地であった和泉・大和・河内の近畿や播磨・備中・ 備後の瀬戸内の綿作地の特色にふれ、江戸時代綿作の農書のうち最高水準の内容とされています。

綿の栽培法に関して
『種蒔期』
・種蒔時節は八十八夜過て蒔事成。
『整 地』
・蒔所の地ごしらへ、早麦を作り、刈取て跡を株蒔にする事あれども、多くは麦を刈りぬ前、中に蒔下す也。
『播種法』
・種1夜水に浸け置、翌朝揚て2日程干也、蒔時は水に塩を少し入れ種を濡し灰をまぶせば、はらはらと一粒椀分る也。
・先麦の中蒔には鍬にて筋を引、其中へ屎に水を加え其筋へ種を蒔卸す、土を鍬にてかけ跡を踏付置か鍬にて叩き付置もある也。
・株蒔とて麦を刈其株の上を鍬にて切割、株上に種を蒔卸其上に土を切りかぶせ踏付置ばよく生る也、雨しげくても痛事なし。
『施 肥』
・1番肥は綿の苗凡そ2寸位に成たる所にて、干鰯を粉にして壱反に6〜7斗を、又油粕ならば3玉〜5玉を穴突にて穴を明、其中に入、土を覆ふ也。
・2番肥は凡そ4〜5寸に伸たる時、干鰯か油粕を一番肥の分量にて施す也。夫より10日過ぎて水肥をする也。
・3番肥は一番肥の半分量を施す也。
『間 引』
・3寸位の時、地の湿りたる時、苗の込いった所を抜取る也。
『除草水肥』
・始終草生え出たるに、よく心付て万能にて削り、水肥は始めより終迄3度入る也。
『摘心』
・土用入の頃凡そ1尺5、6寸位に伸る也、此時末の芯を留る也、芯を留故に横へ数本の枝を生じ桃多く付くもの也、桃は壱本に8〜10位付様に育る也、必ず木伸さず随分枝に勢ひ付て、桃太くなる也。