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短繊維綿

通常は、13/16インチ(20.6ミリ)未満の綿花です。
紡績用には、13番手以下の太番手用(主としてネル・キャンバスなどに用いられる)にごく少数使用され、大部分は紡績用以外の用途で、ふとん綿・中入れ綿・衛生材料などに用いられます 。日本では江戸時代に栽培していいましたが、現在でもわずかに和綿として農家に受け継がれています。
この分類に含まれる綿
・デシ棉
・インド棉(ベンゴール・デシ、コミラなど)
・パキスタン棉

また、各国で綿花の品質退化を防ぐ目的やより優れた品質の綿花を生産するために改良を行っていいます。よって、一国の中でも品種は多様であり、品質にも相違があります。中繊維綿では、 ほとんどの国でアメリカ・アプランド綿種が植付けられていますが、その土地の気候土壌の違いにより、綿花の品質に微妙な相違が出来ます。また、その土地にあった品種改良が行われ各国の綿花は それぞれ異なった特性を持っていきます。
近年は、ハイブリッド技術・遺伝子工学の利用により綿花の品質や収量の向上に努力しています。特に、ハイブリッド化はインドで経済的に成功し、アメリカでは遺伝子工学で病虫害に強い 綿花の開発をしています。

―日本への伝来 ―
日本の綿の伝来は、桓武天皇の延歴18年(799)7月、小舟にのって三河国幡豆郡天竺村(今の愛知県西尾市)へと漂着した崑崙人が(インド人とも言われています。)綿の種一袋を伝えたのが始まりと言わ れています。この事は、「日本後記」および「類聚国史」に記述があります。しかし実際には、万葉集巻三に「しらぬびのつくしの綿は身につけていまだに着ねどあたたかにみゆ」とあり、もう少し 伝来した時期が古いのではと考える説もあります。また続日本記の中には、「神護景雲3年(769年)3月に九州の太宰府から綿の貢ぎものを朝廷に奉っておる」という記録が残っています。 しかし、一度綿の種は途絶え、永録天正の頃(1550年代頃〜)になって再び琉球から渡ってきたという記述が「野語述語」という本の中にあります。この最初に伝来した綿実は、紀伊・淡路・讃岐・伊予 ・土佐・太宰府などの温暖な地で栽培されましたが、繁殖せずに終わりました。