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・エジプト綿 エジプトで生産される超長綿の最高級ブランド綿として世界中で使用されています。導入のきっかけは、アメリカ南北戦争に よってアメリカ合衆 国から綿の供給が途絶えたため、 イギリス帝国とフランスはエジプトの木綿へと目を向けました。プランテーションに多額の投資をし、エジプト 政府(ムハンマド・アリー朝)はヨーロッパの銀行などから多額の融資を獲得し、カイトウメン(海島綿)の導入が始まりました。しかし、1870年代、 南北戦争が終結しアメリカ合衆国産の綿花が国際市場に大規模に再度流入しました。これによって、国際綿花価格の下落が引き起こされエジプト 経済は大打撃を受けました。 この打撃は、エジプトの植民地化の大きな原因と なります。 ・アメリカンピマ綿 米国の綿花生産の5%未満を占めています。アメリカンピマ綿は、もともと山岳などの高地で栽培されていた綿花から生産される 綿をピマ綿と呼び ます。(20世紀初頭にアリゾナの アメリカ・インディアンのピマ族が栽培)長くて細い超長綿で、ソフトでしなやかな風合い・美しい光沢があるの が特徴です。アメリカでは、ピマ綿の栽培業者がスーピマ協会という団体をつくり、アップランド綿との差別化政策を進めています。この協会のピマ綿をスーピマ綿と商標化 しています。「ピマコットン」また栽培場所によって 「ペルー・ピマ」「アメリカ・ピマ」とも呼びます。 3)アジア綿(デシ綿) ゴシピウム属 アルボレウム インドとパキスタンに自生(2%未満)し、インド綿(ベンゴール・デシ・オムラなど)・パキスタン綿(デシ)に分ける事が出来ます。また、キダチ綿 とも呼ばれ、短繊維の 綿でインダス川流域が原産地です。また、インダス文明 の遺跡モヘンジョダロにて、藍染め綿の小さな布が発掘された事から、 紀元前26世紀頃には綿花の栽培されていたと言われています。そして、インド最古の古文書(リグウェーダ) には「糸と織機」の記述があり、イン ド全域で栽培さ れていたと言われています。その後、紀元10世紀頃陸路を経て中国に渡り、12世紀頃から中国南部で南京綿として本格的な栽培が 始まりました。現在、繊維が短く糸を紡ぐには適 さないのですが、高温多湿の気候でも育ち易いことか らインド・パキスタン・ミャンマー・バングラ デシュ等の地域で今でも商業的に栽培されています。 以下wikipediaより抜粋 ゴシピウム属 アルボレウム(デシ綿) 一般的に木綿(モクメン)と呼とよばれ、インド、パキスタンや旧世界の他の熱帯および亜熱帯地域に自生するネ イティブ・コットンの種で、現在、商業生産されているのは、 インド北部・パキスタン・バングラデシュ・ミャンマーで、デシ綿とも言われています。 インダス文明の都市遺跡ハラッパーより、アルボレウム綿が栽培された証拠が見つかっています。アルボレウム綿は東アフリカに伝播し、ナイル川中流域 ・ヌビアのメロエ文 明によって栽培発展しました。その低木について1753年に出版されたカール・フォン・リンネの『植物の種』に記述され、現在そのホロタイプ(正基準標本)は、スウェーデン自然史博物 館でリンネ標本として保存されています。 |