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注:アンギン作りを例に取ると 「ケタ」と呼ばれる横棒をアミアシに渡した編み台・経糸を下げる「コモヅチ」というおもりの2つの道具で、ケタに吊るした経糸に緯糸を絡ませて編みます。

日本では、織物に必要な綜絖が弥生時代に大陸から伝わり、その後に織物が始まったと伝えられています。それ以前の縄文時代人の衣料は、編物が中心であった 事が遺跡の発掘調査から明らかになっています。全国の縄文時代の遺跡から編物の遺品が出土していますが、織物の出土はしていません。現在までの編布の出土は、
北海道斜里町朱円遺跡(縄文後期)、 北海道小樽市忍路土場遺跡(縄文後期)
青森県木造町亀ヶ岡遺跡(縄文晩期)、 秋田県五城目町中山遺跡(縄文晩期)
山形県高畠町押出町遺跡(縄文晩期)、 宮城県一迫町山王遺跡(縄文晩期)
福島県三島町荒屋敷遺跡(縄文晩期)、 石川県金沢市米泉遺跡(縄文晩期)
福井県三方町鳥浜貝塚(縄文晩期)  等です。
鳥浜貝塚では、約6000年前の縄文時代の前期の地層から編布が出土しました。出土した素材は、アカソ・からむし・イラクサ 等の植物繊維でした。組織は、 「越後アンギン様編布」で「越後アンギン」の土台となっています。縄文人の衣料の多くを占めていたアンギンは、弥生時代以降の綜絖の伝来により「織物」と 言う新技法が導入されると衣料品の主流から外れます。しかし、法衣や敷物・袖なし・前掛け、袋 等は、編み物の形式としてその後も継承されています。(ア ンギンの語源は、編衣(あみぎぬ)・阿弥衣という説もあります。)この古い技法は、アンギン製品や製作工具や製作技法が保存伝承されている地域(新潟県  十日町市、津南町、松之山町、松代町を中心とする魚沼地方)で、「越後アンギン」と呼ばれています。また、名称は地域によって異なり、中魚沼郡はアンギン ・十日町市の山間部はマギン・松之山町や松代町ではバト(バトウ)と呼ばれています。マギンというのは「馬衣」の意味で、アンギンが馬から鞍下から尻にか ける布として使われていたのでマギンと呼ばれています。