戻る 次へ


赤系の色
紅花と茜(あかね)が代表的な染料です。紅花(ベニバナ)はキク科の植物です。植物染料の大半が根や葉を利用するのと異なり、 花の部分が染料になります。紅花の花には、赤と黄の色素が含有されていますので、赤色を出すために水洗いし黄色の色素を流出させます。植物の茜で染めた色は、茜の根の部分を染料と して使っていたため染色に手間がかかり、色が濁りやすい特徴があります。茜染は、染める回数に寄って異なる色名がつけられ、最も濃い赤の色名が茜です。 縄文時代の日本人は、土器や土偶に朱を塗っていました。魏志倭人伝によると、「絳」は茜で染めたややくすんだ赤色で、「丹」は赤色顔料の硫黄化水銀で体に塗っていました。硫黄化水銀は、 古墳時代の壁画の赤色や柩の朱の粉に使用されていました。茨城県ひたちなか市の虎塚古墳では、凝灰岩のうえに白色粘土で下塗りをし、酸化鉄を用いた赤色顔料で模様が描かれています。 注:当時の基本色の概念は
・お日様をはじめ、あかるい色は「アカ」
・夜の漆黒など、くらい色は「クロ」
・自然界にはあまりなく、神がかり的に純粋な「シロ」
 紅  花
紅「くれない」は、別名「呉の藍」とも言います。紅(くれない、べに)の染色技術は、藍と同じ渡来人によって伝来しました。藍とは異なり 、紅の染料となる植物は紅花です。紅花の原産地は、エチオピア・エジプトなどの東アフリカです。エジプト古代王朝から栽培された痕跡があり、王朝末期には紅花を精製した口紅が発掘されています。シルク ロードの交流により紅花は東へ伝来し、紅花染として中国に伝来し、紅藍と呼ばれました。日本には3〜5世紀頃に紅花が輸入されていたようです。日本では呉の地方からもたらされたので、呉藍(くれあい)と 呼び転じて「くれない」となった説があります。「紅花」が染色材料として加わった事でより鮮やかな赤を染色可能になりました。しかし、濃い紅色を出すには何度も重ね染めしなければならず、平安時代までは 桜色や紅梅などは殿上人の装束に使用されていました。紅花の産地は、現在では山形ですが、この時代には伊賀上野で時代とともに北上していったようです。