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黒系の色
黒い顔料は有りますが、黒い染料は厳密には存在しないそうです。黒色に染色するには、紫色の染料を濃くし染色います。 よって、紫色の染料(紫根やムラサキイガイ)が貴重品だった時代、黒の染色は高貴でした。
魏志倭人伝には「男子は大小と無く、皆黥面(げいめん)文身(ぶんしん)す」と記されています。ここで書かれている入 墨文化は、奈良時代には衰退し、罪人にのみ科されるものとなりました。しかし、例外として、アイヌ民族においては長く 入墨文化が残ります。
「黒」という色名は、飛鳥時代に生まれました。色の由来は、明るい「明(あけ)」→「あか」、暗い「 暗(くら)」→「くろ」または、涅色(くりいろ)→黒色と変化したようです。 高松塚古墳には、三日月眉の化粧をした女性の姿が描かれています。眉墨は、鉄分を含む黒土を使用していましたが、その後 に五倍子粉(ふしのこ)という染料を使用するようになりました。平安時代には、眉描き以外に歯黒めが流行します。奈良時 代には、地中に含まれた鉄分を利用して黒を染色してきました。また黒は、涅(くり 皁そう)と呼び僧衣の色として使用され、 平安末期に殿上人へと広がりました。平安時代の黒は、黒茶色に近いくすみのある色でした。また、喪に服す時の鈍色として使用されました。
黒橡色・・・どんぐりの実やタンニンで染めた黒色。
鈍色・・・喪服や凶服の色。
これらは、一つの色を表していたのではなく、「薄鈍」・「青鈍」など濃淡や色相に幅がありました。源氏物語で、 葵上が亡くなった時に光源氏が着用しています。親しい人が亡くなった時ほど濃い鈍色を着用していたそうです。
涅色・・・くりいろ。
川底に沈んだ泥土で着色します。
鎌倉時代は、光沢のある漆黒(漆で染色)が鎧に使用されます。この時代の黒は、水墨画の伝来と共に広がります。
江戸時代に新たに加わった黒は、 「憲法黒」・「檳榔子黒」などがあります。小紋柄を憲法黒で染出したものを憲法小紋(黒褐色の憲法色の地色に、目色にグレーを入れ粋な仕上がりの小紋)と呼びます。
檳榔子(びんろうじ)という果実は、奈良時代に中国から薬用として輸入されていましたが、江戸時代末期に黒の染料として使用されるようになりました。檳榔子黒(びんろうじぐろ)は、青みを含んだ黒色のことで『檳榔子染 びんろうじぞめ』の別名を持っています。藍を下染めに「檳榔子 びんろうじ(檳榔樹 びんろうじゅの実)」で染めた黒染の色です。藍を下染めにすることから『藍下黒 あいしたぐろ』とも呼ばれました。また、紋付きの最高級の色でもあります。