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3 機械・道具  

道具には「正直」の外「金板」と「ゲージ」等がある。正直は、竹を平に削るもので職人にとっては命の次のもので、その正直の刃は桶屋で使われている、桶の内側を削る50糎位湾曲していて両端が手で握れるようになっている刃物。これを真直ぐに延ばし、筬引用に改良して使っていた所もあった。中には刀剣を改良して使っていた所もあった。勿論、独自に開発し鍛冶屋に作らせていた人もあるが、工具店で買ったという話は聞いていない。

どの道具も大きいものはなく、住居の一部を改良すれば誰でも何時からでも始められる最も家内工業に向いた仕事であった。

4 製品の販売先

明治16年は、祖父江に筬羽製造が始まって30年位になる。この年に「祖父江竹筬組合」設立し販路拡大に努めた。
この頃から地元中部他・近畿・中国・関東・九州の織物産地へ向けて販路を広げていった。
大正10年に金筬羽が出回るようになり競業する事になる。
第2次大戦中は国家統制令の下で困難な事もあったが、戦後は需要が急激に増大した。それに対応できるよう昭和22年に美濃製歯株式会社を設立した。販売先は国内だけでなく外国の多くに出荷するようになった事から社名を日本竹筬工業株式会社と変更し現在に至っている。
輸出先は、朝鮮・中国(台湾)・インド・パキスタン・ベトナム・沖縄 等(商社経由)。
戦後売り上げの最盛期は朝鮮動乱までで、以降逐次下降し生産量で1/40以下に減少した。原因は需要の減少による職人の転業、その為に起こる需給バランスの関係で更に注文が減るという悪循環と依然と依然とした手作業に頼っている所も要因になっている。

5 材  料

材料の竹は、現在では真竹一本になっているが孟宗竹を使用した事もあった。
製品には、硬さ・粘り・滑りの他 数量が継続的に確保できる品質が均等(生後3年竹)である事が望まれている。
真竹は、当地や近県にも多くあるが要件を満たしていない。しかし九州の竹は、この条件をこのいずれも満たしており明治の頃から使用しているという。

6 生 産 量

過去の数字は記録がないので解らない。しかし過去も現在も一部を除き機械化されていないのと、製造工程も変わっていないから現在の記録を参考に従業員1人当りの生産量を出して全盛時代大正6年の生産量を推定できる。
全盛期の従業員(2)384人の年の生産量は985羽 筬1本1000羽に換算して9800本の最終製品が出荷されていた。


参 考
竹の生い立ちから
生後3年を経た直径6糎程度の真竹、根元から丈の長さの2/3程度までの節と節の間33糎を切り取り筬竹用として生産する。
これを縦8つ割りにしたもの6000本が1梱包として送られてくる。
以下7の製造工程に従って製品化されていく。筬竹1本から羽の製品8枚が出来上がるが歩留まりは95%といわれている。