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「絹通信#69」より |
2002年1月号の「つむぎ№ 201」で 竹筬復活を望むメンバーは集まりま した。次の課題は資金です。2003年7 月研究会設立後、
2004年度の芸術文化振興基金へ助成金申請、2004年4月から、初年度
450万円という決定を いただきました。 それ以前の研修は、有志がJR穂積駅に12時集合、平野さんを初めとして車での方の協力で 同乗し、ジョイフルで昼食後、祖父江の豊田陸雄さ ん宅で研修、そして車で穂積駅。 その時の費用は参加費千円を集め、陸雄さん達の講師料等を賄い、交通費も全額自己負担です。 助成金交付決定後は講師料等は交付金で賄えますし、交通費も原則、半額助成されます。ただ助成金や補助金はその年度の事業が終わった3月末の翌年度の4月に入金です。 当年度初め4月から年度末の3月まで支払いは資金の立て替えが必要 で、この資金を会が何とかできないと会の活動は成立いたしません。初年度は450万円、近年は 980万円と大変大きな金額です。近藤様のご助言はご自身の資金貸与も含めた銀行よりの借入れです。それには信用と担保が必要です。 当研究会は個人の竹筬製作は全く素人の集まりで、親組合がある組合の信用や担保での借入れは望めず、会員の個人担保か個人資金提供かしか運営資金調達の方法はなく、ご助 言の結果、後者を選択しました。前者は2018年2月の「絹通信№ 58」でも書きましたが、返済条件や万一の返済不能時のことを考えれば、前者はリスクが大きすぎると考え、今に至ります。 助成金、補助金は適正に使われたかどうか3年分の監査があります。初期の会計担当の田 口さんの京都での説明ではOKが出ず、後日の東京で、やっとOKが出ま した。関さん担当の時では京都で即 時OKが出ました。万一OKが出ない不適正な部分があれば、その部分は未支給でしょうし、事業自体が不適切と認定されれば全額無支給 もあり得ます。会員に支払い済みの金額は領収証で返金も可能でしょう が、業者や物品支払い済の返金は不可能です。公金である助成金、補助金の使用は監査でNOといわれる使い方をすれば、その後の対処は大変で研究会の活動は空中分解いたし ます。その責務は会の代表である私であり、理事会であり、会員であるのですが、次世代の後継者にとってもクリアーすべき大きな課題で現 実です。 9月19日記 下村 輝 |
「絹通信#68」より |
「染織情報 α」が来年3月号で休刊、染織界の貴重な情報源が、また一つ消える事は本当に残念です。「染織と生活社」と富山弘基さんと佐藤能史さんにお世
話になり約40年以上、現在の「竹筬研究会」や「下村ねん糸」が存在できたのは、この染織雑誌で
長期間お付き合い頂いた結果です。 「月刊染織α」の私の広告欄「つむぎ」は約18年間、2003年10月からの「絹通信」の竹筬研究会の情報も17
年目になりました。 2017年竹筬研究会は 、国の選定保存技術の保存団体に認定され、補助金を受け現在に至ります。その第一歩が2002年1月号の「つむぎNo.201」で の「竹筬に関する情報を」という広告欄での記事でした。この小さな記事を文化庁の近藤都代子様がご覧になりました。当時私は、「染技連」(会長/高橋 裕博さん)という友禅染めの団体と辻が花染めの小袖の再現活動の中で練貫生地の絹糸と製織を担当していました。その監修が切畑健先生(京都国立博物館 名誉館員)で、先生のご推薦もあり、近藤様が京都を訪問されました。そして、竹筬研究会設立・資金・日本竹筬工業の事などを話し合い、ご助言いただき 、2003年に竹筬製作には全く素人の集まり、竹筬研究会 を結成しました。資金は芸術文化振興基金へ申請し、1年目より補助金を受け、技術教授は日本 竹筬工業の職人さんを直接ご説得頂きました。日本竹筬工業が解散した理由は、筬羽仕上げの唯一の職人である森助一さんは、ご病気とご高齢で後継者は0 となりました。しかし、筬羽引きの豊田陸雄さん、豊田義雄さん、組みの豊田亨さんはご健在でしたので、その技術伝承を説得頂き、豊田陸雄さんの作業所 で研修は始まりました。 当初の仲間は、「つむぎ」で集まった、関さん、高山さん 、山口さん、糸車製作の平野さん知多のグループ、岡崎の合原さん、金沢の長谷川さん、京都から 高橋さん佐藤さんでした。その後加入の今里さん、角浦さん、西尾さん、森田さん、森さん、篠崎さんと続きます。 一つの技術で十年と言われる世界で長時間 の継続は大変で、ご教授頂いた職人さんも亡くなられました。当初の仲間で研修に来られているのは私と関さんです。 そして、佐藤さんには、雑誌と会の監査 でお世話になっています。 十数年もたちますと当初メンバーの高齢化と次世代の後継者問題が生じてきます。現在は、仕上げと組みは小嶋さん、そして向川さん。白髭さん、小倉さんには 自宅研修費を 支給し、筬羽引きの技術習得。並行して宮垣さん、私で各工程の機械化にも挑戦しています。 伝統産業の伝統技術を職人が次の職人を育成して伝承する構造が、経済的に成立しにくくなった現在の新しい試みとして、素人の集団が教授され、一度は途切れ た「竹筬」で再度貢献できる様に日々の研修を重ねたいと思います。そして、情報の発信と交流の大切さを改めて実感いたします。 8月22日記 下村 輝 |