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が ら 紡 と は |
*注 臥雲辰致 1842(天保13)年に現在の長野県南安曇郡堀金村に生まれる。(本名を横山栄弥)幼い頃から足袋底製織の仕事をする父親を手伝うかたわら、紡績機械の考案に 没頭していた。20歳の時に出家し、26歳で臥雲山狐峰院の住持となるが、同院は1871(明治4)年に廃仏毀釈で廃寺となり還俗した。(この頃から狐峰院の山号を とって臥雲辰致と名乗る。)再び紡績機械を考案する。2年後の1873(明治6)年、最初のガラ紡績機を完成した。1875(明治8)年に紡績機の専売免許を申請し たが、このとき日本にはまだ特許法が制定されておらず、公売が許可されただけとなる。しかし、翌年ガラ紡績機の効率のよさに注目した長野県官吏の勧めで、 ガラ紡績機の量産を計画するともに、第一回内国勧業博覧会への出品を決定した。 *注 「ガラ紡糸が出来るまでの工程」 原材料は、紡績工場から出る落綿や反毛と言われる再生綿が使用されます。 1、ふぐい 原綿をほぐしてごみ等を取り除く。 2、廻切機(打綿機) 綿の繊維をそろえて引き伸ばし、シート状のラップをつくる。 3、撚子(よりこ)巻き機 つぼ(棉筒)に詰めやすい様に、シート状の綿を巻いて「よりこ」を作る。この状態が原料綿と呼ばれる。 4、がら紡機 糸に精紡を施す。 5、合糸機 精紡された糸は、強さを増したり太さを調節する為に合糸機に掛けます。 2-3本のガラ紡糸を合わせて保つ様な太さにする。 6、撚糸機 合糸した糸に撚りをかける。 7、綛作り カセにし、「玉締め機」を用いて10K程度を1玉にして結束し出荷。 *注 「洋式紡績(機械による木綿糸作り)に関して」 紡績機械の開発はイギリスで始まりました。1764年ジェニー紡績機、1768年ウォーターフレーム、1777年ミュール機械が発明されています。このよ うな発明は、紡績産業を大きく発展させ、衣料改革に始まる三峡革命の一端を担っています。明治初期に日本が紡績業振興の為に輸入したのはミュール機械です。 その後アメリカのリング機械を輸入しました。然しながら、様式の機械紡績は最終製品までには、多くの工程・機械を必要としました。 紡績のガラ紡との差は、精紡の方法と前工程に有ります。前工程で、同じ長さの綿の繊維に揃えることです。(ムラの無い細い糸を引く為)各種の機械を使用して繊維長をそろえます。この状態で「落棉(らくめん)」と呼ばれる繊維長が短い繊維が生じます。この落ち棉がガラ紡の材料となります。 |