戻る

*加賀友禅
15世紀頃の加賀には、「加賀御国染(かがおくにぞめ)」または「梅染め」と呼ぶ染色技法が有りました。また、江戸時代中期に宮崎友禅斎が京都を離れ、加賀藩の庇護を 受け移り住み友禅染を広めました。そして、加賀友禅は梅染めと友禅斎が広めた技法が合わさり確立したと伝えられています。色彩は、加賀五彩と呼ばれる(紅、黄土、緑、 藍、紫)を基調色とし、草・花・鳥などの自然をあしらった絵画調の着物です。柄は、図案調の京友禅に対して草、花、鳥等の絵画調の物が多く、「虫食い葉」等独自の装飾 があります。染めの技法が特徴的で、基本的には金箔や刺繍などを行いません。

*江戸友禅(東京友禅)
江戸時代各藩の大名が、参勤交代で江戸に集まった事で大名のお抱えの染師が京から江戸に移り住む様になり、友禅染めが広まったと言われています。(江戸時代中期、関 西方面から下ってきた産物を「くだりもの」と呼んでいました。)「御所解き文様」を好む京友禅に対し、江戸友禅は、磯の松・釣り船・綱干し・千鳥 等の「風景模様」 が主です。また、江戸城内の奥女中たちには「御殿風」と言われる武家好みの柄が流行しました。江戸は、武家中心の文化であった事から江戸友禅も柄や色合いが落ち着 いた友禅が根付きました。

*辻ヶ花
室町時代から桃山時代にかけ流行した絞り染めの技法です。最盛期に当たる桃山〜江戸時代初期に複雑な縫い締め絞り・竹皮絞りなどの高度な技法が使用され、多色染め分け による高度な染物を作り出し、摺箔 等の技法と共に安土桃山時代の豪華絢爛たる文化を生み出しました。しかし、江戸中期に糊で防染する友禅の技法が考案され、自由度・ 手間の両面で劣る辻ヶ花は、急速に消滅しました。