戻る |
白石紙布(しろいしかみこ) |
注:紙子
紙布に似ていますが、紙糸で織ったものではありません。紙子は、和紙に柿渋を塗り乾かして揉み、柔らかくし更に露にさらし、渋の臭いを取り除いて作られました。
技法は、四つ折りにたたんだ紙を包丁で等間隔に細く裁断し、適度な湿気を与える為、濡れたむしろに包み、一晩寝かします。ヂャッケー石と言う凸凹の石の上に広げ、
全体の1本1本が丸みを帯びるまで、丁寧に静かに揉んでいきます。紙揉みの後1本の糸にし、糸車を用いて左右同時に撚りをかけ、「つむ」に巻き取ります。染色は、
媒染として豆汁(こじる)を使用し、石灰水に浸してから乾燥させ、乾いたら植物染料で浸染(ひたしぞめ)をします。織る時は、高機で他の織物と同様に織ります。
また、紙子の発祥は宗教的な色合いが濃いようです。修行中の仏僧にとって、紙子は都合のよい織物と言えたようです。麻布は風を通すが紙子は風を通さないので火の
気のない寺院でも暖い・絹布のように蚕を殺さずに糸を作る事が出来る など 僧侶たちは反古紙を袈裟に着用していたようです。この伝統は、いまも奈良東大寺二月
堂の御水取りの際に紙子を使用しています。紙子は、僧侶の防寒着や武士の夜陣の際の防寒着として発達し、江戸時代には一般庶民の防寒着や布団の表地として使用さ
れて日本各地で生産されていましたが、現在は白石紙子だけが生産されています。 |
栗駒正藍染(くりこましょうあいぞめ) |
宮城県栗原市文字地区の千葉家に伝わる「正藍冷染」は、現存する日本最古の染色技法であり、自家栽培した藍を初夏の気温を利用して自然発酵させ染色を行う草木染
めです。この染色技法は、中国から日本へ伝来し、平安時代に確立されたと言われています。以降は日本各地で盛んに行われていましたが、明治に安価で容易に染めら
れるインド藍や人造藍が日本に入り衰退しました。 藍染は、藍瓶を火であたためながら一年を通して染めますが、栗駒正藍染では人工的な保温・加熱を一切行わず、五月頃からの気温の自然上昇を利用し木桶に入れた 藍を自然発酵させます。よって「冷染」と呼ばれています。しかし、昭和41年に「温度を下げるわけではないのに冷染というのは不適当」という理由から「冷染」 の名称をとり去り「正藍染」と指定名称を改めました。 伊達藩は、江戸時代に藍栽培を奨励していました。当時、農民は絹物の着用が禁止されていました。しかし、東北地方は綿の栽培に適さない事などから大麻・苧麻・ 蕁麻などが栽培され、麻布を織り、藍で染めていました。明治から大正期にかけ文字地区で藍染めを行う家庭が20軒ほど存在しましたが、昭和20年代には「千葉 家」のみとなりました。千葉家では、藍を種から育て栽培、原料となる?で藍玉をつくり、機織りした麻布を染めるという一貫した作業を自家で行なっていました。 この事で、初代の「千葉あやの」が昭和30年に国の重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に指定されました。文化財登録で「正藍染・正藍冷染」は千葉家の商 標登録となりました。 ― 正藍染の工程 − 1) 麻布 4月に大麻の種子を蒔き、7月下旬から8月上旬にかけて収穫し、冬季に麻を糸に撚り、高機で織る。 2) 藍 5月上旬頃苗代に種を蒔き、藍は刈り取ると同時に葉をしごきとり、天日でかわかし手でもみます。この作業を2、3回繰り返してから俵に詰め貯蔵します。2月 頃に、もみ殻とわら束を敷いた土間の上に莚を重ねて藍床を作り、水洗いした藍葉を山盛りに積みます。積んだ藍葉に莚とわら束をかぶせて3・4日放置すると、 藍葉が発酵し熱を持ちます。 そして、1・2週間ごとに藍葉に水をかけ上下を反転させます。反転を繰り返して藍葉が熱を持たなくなったら四月まで放置します。 4月に藍葉を床から出し、藍葉を臼でついて10センチ程度の藍玉にして乾燥させます。藍玉は、乾燥してから栗の実くらいの大きさに割り保存します。 藍建ては、木桶に藍玉と木炭灰の塊と35−6度の湯を入れて行います。初めの一週間は毎日湯をそそぎ、一週間ほどで泡が立ち始めます。泡の量が多くなった らかき混ぜます。泡の色が濃い紫色になるまで繰り返します。藍汁の中央に濃い紫色の泡が立てば藍汁が完成します。 3) 染色 麻布を一度煮て水にさらし、麻布一反に、伸子針十二本を張って藍汁に沈める。藍汁の中で布を広げ、30分ほど浸してから引きあげ風を入れ、発色を促します。 3回繰り返し、水洗いをし、豆汁を引き、陰干しして乾燥させます。 4) 木炭灰 薪炭(楢炭)から木灰(炭の形を残した灰の塊)をとる。 |