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藍型の種類
・白地藍型  白地に藍一色の模様。
・浅地花取り 白地に藍の濃淡模様。
・墨花出し  薄藍地に濃紺模様。
・白花出し  藍地に白抜き模様。
・藍朧    白地型と染地型を用いて藍で二重染します。
・染地藍型  模様部分に墨でぼかしを入れます。
・紅入藍型  藍型の部分に赤、黄、青などの多少の色を挿します。

注:「紅型の名称に関して」
東南アジアとの交易の中で様々な技法を取り入れ、約15世紀頃には存在し、古い書物に「李朝実録」の「紀白(1456年)」・「彩絵(1479年)」として記述があるそうです。また天順7年(1463年)に、朝鮮に派遣された琉球の使節が 「琉球の男は斑爛之衣(彩りの美しい模様の衣)を着る」と述べ、 「使琉球録」(1534年)には、「彩服・彩段」と記述されているそうです。
紅型(または紅型を制作すること)を表す「型附」の文字が初めて登場し、「白絹に文様を染める者がいる。また5色を用いて生地を染める者もいて、皆自ら着用している。そして贈り物や商売にはおおむね染色しない地色のまま の生地を用いる」とあります。
1)沖縄学研究の創始者である伊波普猷(1876〜1947)は、「琉球更紗の発生=古琉球紅型解題」(1928年)で染料の原産地であるベンガルから弁柄(ビンガラー)のようである」、東恩納寛惇「歴代宝案」の「上水花布(更紗)」がイ ンドのベンガルから渡来したことから、紅型の語源はベンガルに由来する」と言っています。
2)沖縄戦後に紅型の復興に尽力した城間栄喜は、「父(栄松)は中国福建省に「びん」という地名があった為、その地名が語源ではないか」と話していたと伝えています。また、元来職人たちの間では、型染の事を”型附(カタチ キ)”と呼んで、色を差すことを「紅(ビン)を入れる」と呼んでいたそうです。
3)「古琉球紅型」・「沖縄文化の遺宝」の著者で型絵染作家の鎌倉芳太郎(1898〜1983)が沖縄で紅型調査を行いました。それによると、【大正末年の頃、首里の紺屋(染屋)では「ビンガタ」と呼んでいた事から「色彩のことを 称して紅、文様を指して型という」が語源で、現在では色彩を称し「紅」、文様を「型」とする意味合いで「紅型」という名称が使われている。】と言っています。