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琉球絣(りゅうきゅうがすり)

「健康的な美しさ・南国の陽光にも退色しない強さ」を持った「泥藍染の絣柄」の木綿織物です。 絣柄には、生活用具・星・雲・鳥などの自然を図案化したものが多く見られます。沖縄では、各地域の絣柄織物を総称して「琉球絣」という場合も有ります。絣の発生は、外国との交易により伝 来したそうです。「沖縄の絣」事を総称して「琉球絣」と呼んでいます。南風原では、戦後に機業(きぎょう)が集中するようになり、南風原の絹絣織物が沖縄の絣を代表する事になります。絣 は、自然や生活の道具から形を取り入れた約600種類もの模様があります。1609年琉球は、薩摩の支配下になり貢納布が義務付けられた為、宮古・八重山・久米島に王府から御絵図と呼ば れる図案が送られ忠実に織られました。絣は、「柄の大きさ・色」で身分の差を区別し、多彩な色彩や柄は士族以上しか着用を許されず、一般庶民はおもに紺絣を着用していました。絣括(かす りくくり)には、琉球独特の手括りがあります。また、絵図を基に墨付けして種糸を作る絵図法(摺り込みと織り締め)があります。南風原の絣は、図案を基に絵図法を用いて製造されています。 琉球絣は、御絵図を元に展開させ工程も分業化し生産されています。染料は、主に「琉球藍・福木・スオウ等」が用いられています。


首里道屯(しゅりろーとん)

沖縄県那覇市首里汀良町で織られています。経糸を浮かせて織る紋織の一種で、絹物と綿物が有ります。 経糸に二色の色糸を用い、裏表とも経糸のみが浮き、両面使用可能な織物です。純植物染料で染めた糸を高機で織り、独特の「砧打ちの技法」で仕上げます。1659年に中国から紋織の技法が伝えられ、長い時を かけ沖縄独自の織物となりました。宮廷の衣装や王府の官服として用いられていました。