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与 那 国 織 |
与那国の織物が初めて文献に登場したのは、1479年の「李朝実録」です。既に「苧麻」で布を織り、藍染で染められていたと記述があります。
「人頭税」の時代には、米の変わりに貢納布を義務付けられていました。時代の流れと共に色々な技法を取り入れ、伝えられ現在の与那国織として発展してきました。与那国織には、与那国ドゥタティ(庶民の野良着)・与那国花織・カカンヌ
ブー(細帯)・シダティ(手巾)があります。
・与那国花織の特徴 格子縞の中に、両面浮花織を織り込んだ「首里の花織」に良く似ています。幾何学的に表現されている花織は、柄によってダチン花(八つ花)・イチチン花(五つ花)・ドゥチン花(四つ花)と呼ばれています。直線的な構図の中にも伸びやか で広がりが有るので、格子縞の織り合わさった色合いが、より布に深みを与えて美しい花々が元気に咲き誇っている様です。この事からどこか優しさの感じられる織物に仕上がっています。素材は「絹・木綿・芭蕉糸・苧麻」です。染料には主に 、「ティグティ・黒のカサギ・インド藍」が使われます。 注: 染料に関して 染料は島に自生している植物が中心です。黄色が出るフグン(フクギ)・茶色のティグティ(シャリンバイ)・ベージュや黒のカサギ(アカメガシワ)・インド藍などを使います。泥染めもします。 注: 織り上げ方法 糸の精練(せいれん)→糸染め→糸巻き→整経→糊張り→縞割り→仮筬通し(かりおさとおし)→経巻き→縞割りの確認→綜絖通し(そうこうとおし)→(花綜絖通し)→筬通し→織り付け→柄出し→製織→洗濯→検査→製品となります。 |
首 里 織 |
琉球王府の置かれた首里は、政治文化の中心にふさわしく、格調高く洗練された多種類の染織が発達していきました。その大きな理由としては、海外交易に深く関係し、王府が国外から織物の技術や材料を取り入れた為と言われています。南方から伝えられたといわれている「絣技術と中国から伝えられた紋織り」の技術を取り入れ、首里の上流階級や士族の女性達によって首里の織物として織られていました。 第二次世界大戦で貴重な資料などの殆どが失われましたが、戦後復興を遂げ現在では首里を中心に織の技法が 忠実に再現、継承されています。 花倉織 : 花織と絽織の技法をあわせた沖縄の織物で最高位の織物。 絽 織 : 経糸をねじって緯糸を織込み、網の目のように仕上げる。 首里花織 : 経浮花織、緯浮花織、両面浮花織(首里のみ)、手花織の4つの技法がある。 道頓織 : 緯糸間隔をつめ、経糸を浮かし経縞のように交互に織る。素材は絹、木綿、麻などを混合。 手 縞 : 大胆な格子の間に絣模様を織込んだ柄のこと。(首里絣) 綾の中 : アヤンナーカーと呼ぶ。綾とは縞のことで、縞の中に絣を織込んだ柄を指す。(首里絣) ムルドゥッチリ : 諸取切と書く。総絣のこと。 地方ではクジリゴーシ(崩れ格子)とよばれ代表的な絣柄。(首里絣) その他 首里ミンサー、煮綛芭蕉布(ニーガシー)があり、首里では、御絵図のような鮮やかな色柄を出すために一度漂白を行い染色をしています。 |