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福 井 |
越前黒流し染(えちぜんすみながし) |
越前の墨流しの歴史は、1151年に始まります。大和の国 治左衛門が春日大社の神託をうけ「紅藍墨流し鳥の子紙製法」の秘伝を授かり、その製造に合う清水を求めて諸国を遍歴、最適の水のある武生に定住し、初代・治左衛門となったと伝えられています。それ以降、墨流しの技法は一子相伝に伝えられ、現在の55代目の治左衛門にうけ継がれているそうです。 元来「墨流し」は和紙の染色法で、明治維新まで代々の藩主が墨流しを保護してきたようですが、明治以降に布染への応用が始まりました。 布染は、水面に墨汁を落として浮かんだ模様を紙や布に写し染める染物で、同じ模様を染める事の出来ない技が特徴です。染生地は、越前鳥の子紙・一越縮緬・塩瀬・羽二重などの絹織物です。模様は炭の流し方で、正流・横流し・縦流し・渦巻きの四種類と四種の組み合わせがあります。(着尺地、着尺裏地、ネクタイ、壁紙、表装地などに使用されます) 「染色法」 染料には奈良の墨、正藍、最上紅花を用います。筆に含ませた染料を筆先から水面にたらして波紋状の紋様を水面につくり、その紋様を紙や布に写し取ります。三色の場合には、三本の筆を同時に手に持ちながら墨を流します。 *注 墨は、推古天皇610年に高麗の僧・曇徴により伝えられたそうです。また、筆の伝来も推古天皇の治世中だそうです。墨と筆の伝来後、貴族の間では、墨流しは遊戯として行われたようです。 |