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日枝紬(ひえつむぎ) |
春繭の生引きと塩蔵繭を座繰り糸にして、草木で染め上げ手織りします。戦後、大津市坂本で農業の道を説いた松井浄蓮氏の子女・京さんが、郡上八幡の宗広力三氏のもとで修業し紬を創作し、浄蓮氏が日枝紬と名付けたと言われています。天台宗総本山延暦寺の 「日枝」が名称の起源とされています。 |
近江木綿正藍染(おうみもめんしょうあいぞめ) |
江戸期から大正期までは、甲賀郡甲西町周辺の農家では綿を栽培し糸に紡いで紺屋で藍に染め日常着等を織るという習慣が有りました。 しかし、紡績業の効率化で安価な綿製品が進出した事で、その慣習は薄れて行きます。まだ、昭和20年代 郡内に7軒の紺屋が有りましたが、現在は甲西町下田(現・湖南市)において、藍染織物を「近江木綿」の名称で伝統を継承 するのみになっています。(1764〜72初代政平が京都で修業して創業した紺善の六代目植西恒夫氏 ) |
高島綿縮(たかしまちぢみ) |
高島市は、湖西で唯一の綿織物産地です。強撚手織りの綿縮が原点で、江戸中期から京都市場へ出荷が始まったとされています。「高島しぐれ」という多湿気象条件と安曇川の水源が高島式強撚加工に適したそうです。現在は、高島クレープの商品名で知られています。高島織物工 業組合・高島晒協同組合は、伝統の高島綿縮を伝承しながら、近代設備を導入して綿クレープ・綿布類・帆布・ベルト基布・タイヤコードなど、綿繊維を主にした近代織物代表と言われています。そして、綿クレープでは全国でトップの生 産量を誇り、和装ゆかた地なども盛んです。 |