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江戸更紗
室町から桃山時代に伝えられた更紗は、「型紙摺り」の手法で「江戸更紗」に生まれ変わります。 江戸時代末期に型紙刷り技術に秀でた更紗師が、日本独自の美しい更紗を生み出しました。更紗の文様は草花・鳥獣・人物等を図案化したものが多く、エキゾチックな風合いに日本の風土と独特の美意識が加わりました。
江戸縮緬
江戸時代に作られた縮緬全般の総称の呼称です。主として日本の自然を表した模様を写したもので「江戸縮緬」と呼ばれているのは明治期のものです。

村山絣・武蔵絣
江戸の元禄頃には縞模様の木綿織物が織られ始めていたようです。1804頃には 村山絣が完成したそうです。一説には、縞・絣ともに南蛮貿易によって日本に入ってきた南方系の木綿織物の柄だと言われています。
「縞」は、2色以上の色糸・経(たて)や横(よこ)にもろもろ種々の筋を現したもの。「絣」は、所々かすれた模様を織り出したもの。そして、縞・絣は江戸時代の町人や農民の手によって育っていきます。
村山産地の木綿縞から村山絣への移り変わりは、木綿織物技術の発達とともに江戸町人文化の発展を背景にしているとも言われています。しかし、明治中期以降、他産地で低価格の木綿絣(染絣)が生産され、日露戦争後は絹織物の需要が増えた事で村山紬の転換時期となります。また、村山産地では明治中期から太織縞、黒紬、縞銘仙等の生産が行われていました。この絹織物の技法と高度な生産技術が銘仙の開発へとつながります。その後銘仙の産地であった伊勢崎(群馬県)から板締(いたじめ)染色、絣板の製造、経巻(たてまき)等の技術が導入され、村山産地の織物は木綿絣から絹織物の村山大島紬へ変化します。