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正藍武州紺織(しょうあいぶしゅうこんおり) |
経、緯糸ともに正藍で染める紺織物で、武州青縞とも呼ばれます。計糸には、紅殻(顔料の一種)用いる事もあります。農作業着、足袋表、手甲、脚半などに使用されました。 ・変 遷 古くから木綿と藍の栽培が盛んな地域で、天明年間頃から生産されていようです。当時は、紺屋が糸を買い賃機に出していましたが、現在では藍染めから製織までの一貫生産として変化しています。そして、近代化の波で藍瓶はタンクに変化し、正藍は割建て(植物と、化学藍の混合)に変化しました。 ・染色法 大型タンクに藍を建て、糸を何度となく藍水に浸して濃紺に染めています。用途によっては、経糸に紅殻をもみ込み、赤味のある藍に染め上げます。 ― 注 ― 武州正藍染 (武州唐棧・武州型染・武州紺織) 羽生市近辺に、藍染の技術が伝えられたのは、天明年間(1780年代)といわれる。かつて、青縞(武州紺)と呼ばれる綿織物が盛んに生産され、羽生・加須などを中心に北埼玉地方一帯に市場が立ち、活発な取り引きが行なわれた。青縞は藍染めした木綿糸で織った織物の事で、野良着・足袋などに用いられていた。その後、「武州型染」や唐棧織と藍染を組み合わせた「武州唐棧」などの製品も作られるようになった。藍染めは、藍玉を自然発酵させた藍染め液で染めるため、洗えば洗うほど色が冴え、風合いが増してくる |