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出雲祝風呂敷(いずもいわいふろしき) |
出雲地方で、婚礼の際に伝統的に用いられる筒引き藍染風呂敷です。砧打ちした木綿生地の中央に生家の家紋・二隅または四隅に鶴亀、松竹梅、宝尽し 等 瑞祥紋様を筒描き染していま す。二幅、三幅、四幅の三つ揃えの風呂敷もあるそうです。 祝風呂敷を染める紺屋は表紺屋、糸を染める紺屋は糸紺屋と呼ばれました。染料には藍や草木を用いました。藍一色に染織するが一般的ですが、多色染のばあいには模様部分を顔料で染色し、図案は注文主の好みの色に染織され ます。出雲地方で藍染が開始された時期は不明です。布を補強し虫を防ぐ効果のある藍染は、農山村の作業着としては重宝したと言われています。出雲では藍染は、嫁入り支度に筒引きの藍染布(祝風呂敷、油単、布団地など)を持参し、子供の産湯の湯上げ、子背負い帯、節句ののぼり などに使われる布は藍染を使用しました。しかし、近年はそんな風習もすたれ、出雲藍染を伝承している染業者は消滅の一途をたどっています。 |
雲州木綿(うんしゅうもめん) |
素木綿(もともめん)の白木綿は、出雲平野の集落で副業として織っていました。江戸時代、平田町(現・出雲市)の木綿市が賑わったと言われています。 白木綿の盛況で村々に表紺屋(おもてこんや=布を藍染する)が増加、明和8年(1771)の『出雲郡万指出帳』に「紺屋22軒」の記載があり、明治23年の雲州木綿は353459反(島根県農商務統計表)まで上昇しています。そして、手紡綿糸の雲州木綿は明治17から徐々に 減産して紡績糸へと移行していきます。明治30年代に紡績糸による新商品「八雲縮」を伊野波村(現・斐川町)で考案しましたが、大正10年に商品は消滅します。戦後、雲州木綿は、平田市(現・出雲市)で、昭和61年から土江弥生氏が平田木綿織りに取り組んでいる そうです。 |