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みさやま紬(みさやまつむぎ) |
みさやま紬は、横山英一氏によって考案されました。彼は、戦後農業の傍ら蚕を飼い、糸をつむぎ、経糸に絹の生糸・緯糸に紬糸を使用し、裏山の草木を染料とし、確かな絣縞織の技術に現代の色彩感覚を取り入れて織り上げました。 現在、みさやま紬は「みさやまの里」で生産しています。山谷に自生する材料で草木染を行い、何度も染めては干し、色を染め重ねる事によって深みと堅牢度も増した紬です。 ー 技 法 − 100%草木染めで、主な染料は玉葱・漆・栗・桜・山胡桃・蘇芳等です。 糸は、経糸には絹の生糸・ 緯糸には真綿の紬糸を使用しています。その為、普通の真綿紬より滑りがよく、しなやかで単衣用の着物としても活用されます。柄は、信州紬の持ち味でもある縞・格子で創作的な横段や簡単な絣を用いてシンプルです。 |
有明天蚕紬(ありあけてんさんつむぎ) |
長野県松本市有明で織られている紬で、ヤママユガの繭から作った真綿に普通の蚕からの真綿を混ぜてつむいだ糸を緯糸にし、絹糸を経糸に使って織られています。淡緑色の光沢を持ち、強くて特殊な地合いに特色があります。 天蚕は、山繭とも呼ばれるヤママユガ科の昆虫の繭です。この天蚕の繭と家蚕の繭からとった真綿を合わせて手で紡いだ糸を緯糸に、絹糸を経糸に用いて織りあげます。「 絹なり」がし、上品な薄緑色の光沢を放ちます。 ― 天蚕の飼育 ― 天明年間(1781〜1789)に有明地方のクヌギ林で始まりました。 文政年間(1818〜1830)には商品として軌道にのり、明治初期から中期にかけては有明村の農家の50パーセントが天蚕飼育農家となり、年間8 00万粒の繭を生産していました。しかし、明治時代の後期から害虫の発生や焼岳の噴火灰などが原因で衰退していきます。天蚕自身が病気に弱い事・戦後には天蚕の主食であるクヌギ林が減少した事などから増産は難しく、現在 では少量の天蚕繭が生産されています。 「古代あしぎぬ」は天蚕の糸で織ったものと考えられています。しかし、100%天蚕の紬は現在では存在する事が出来ません。天蚕の繭を100%用いた紬の価格は、染める前に1500万円を超えるだろうといわれています。 現在では天蚕紬の繭の混合率は、天蚕1粒に家蚕10の割合となります。 |