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例:久留米絣は 、筑後国 御井郡(福岡県久留米市)の米穀商の娘「井上 伝」 によって、 寛政 10年(1799)に考案されたと伝えられています。当初は、「加寿利(かすり)」と名付けて売り出されました。そして伊予絣と久留米絣は、木綿織へ の「高機の導入・絣模様の多様な創出  等」多くの人々の努力で育て上げられていきました。
注:「井上 伝」は、小さいときから白木綿や縞木綿を織って家計を助けていました。ある日、幾度か洗い晒され色褪せた衣服の所々に白い斑点があるのを見 て不思議に思い、早速衣服を解いて糸に戻し、白くなっていた部分をまとめて糸にくくり、藍汁に染めて乾いた後にその「くくり糸」を除き、これを機で織っ てみました。すると白い斑紋が数百点布面に現れ、これまでみたことのない新柄の織物が出来上がりました。これが久留米絣発明の発端でした。

伊予絣は、愛媛県伊予郡の「鍵谷 カナ」によって享和年間に考案されたと伝えられています。カナが織った伊予絣は、染料も藍ではなく菜のような青草の 汁を用い、経糸を斑に白く染め残し、織ると霜降り状の模様になったと伝えられています。この後に、経糸・緯糸とも絞り染料も藍を使うようになり、十の 字や井筒の模様を織り出すようになりました。
注:新しく考案された久留米絣を見て、伊予絣を織り出したとも伝えられています。