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6)鳥取県の弓ヶ浜半島は土壌的に綿作に適した土地で、延宝4年(1676)綿作が行われるようになったと伝えられています。 この地帯は、水利の悪い不毛の荒地多かったのですが、元禄(1688-1704)以降の米川の開削により綿作が可能になりました。 また、綿作には多くの労働力を必要とします。この地区の農民は、小作農家でその多くの安価な労働力が豊富に供給されました。 さらに、綿作を行うには多くの肥料が必要でした。三河湾・大阪湾・瀬戸内海など綿作が発展した地域の付近には、肥料にする 雑魚が豊富に入手できる漁業が有りました。この肥料は金肥と呼び、高い代金を払って確保しなければならない「干鰯や〆粕」 を大量に投与していました。よって、少しでも輸送コストがかからない近隣の海にこれらの供給地があることが条件となりました。

綿が育つ条件は、
・自然的条件
綿が育つ条件は、夏季の高温で小雨、砂土または礫質砂土の土壌が揃う。
・地理的条件
排水のよい砂質の土壌・開花期の高温・開絮期(綿実が熟して吹き出る事)は、乾燥を必要。
・その他
綿作には多くの労働力が必要。綿作を行うには、多くの肥料が必要

この様に、条件に適した地方から綿栽培が発展していきます。綿は、換金し易く、糸・木綿に加工し易く、より多くの収入を得る 事が出来ました。「種」は油の原料として利用し、収穫後の綿の枝木は焚き付けとして利用されました。しかし、綿作は稲作に比 べ多くの肥料と労働力が必要で自然災害等の豊凶の差も激しい 等のリスクもありました。それでも農民にとって多くの現金収入 に結びつく魅力溢れる商品作物でした。