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大島紬は、経緯の細かい絣(かすり)糸が地模様をつくっています。 以前は絹糸を芭蕉の糸で手括りして絣模様をつくっていましたが、明治40年頃から締機による織締絣の方法を採用し、本場大島紬独特の精緻な絣模様が可能になったようです。 大島紬の文様は、小さな十字絣で表現されています。その制作には二種類の図案が描かれます。一枚は形や色調などのイメージを表現したもので原画と呼ばれています。もう一枚は設計図、指図書として用いられるもので、織密度に合わせた専用の方眼紙に絣ひとつひとつを正確に書き込んでいきます。 大島紬は、先染織物です。(織る前に糸を染めます。)また、糸一本一本に絣の技法で文様を染め付けているので絣織物と呼ばれています。この文様を実現させるのは、「絣締(よろけ」」と呼ばれます。大島紬で最も細心の注意を要する技になります。 泥染は、古代からある染色法で手間と時間を要します。まずテーチと呼ばれる木の幹を細かくチップにして、煮沸し抽出した液に糸を繰り返し染めます。テーチ木液には染液の馴染みを安定させる役割があります。その後、泥で染処理を数回繰り返すことで、初めて大島紬独特の渋みのある黒色に染め上がるのです。この泥染めは、鉄分を含んでおりテーチで赤く染まった色を黒色に変化させます。(ソテツで鉄分を補給します。) 藍染めは、植物である「藍」(タデ科の1年草)を使用した天然染色法です。その藍に水、アルカリ、焼酎、水飴等を加え発酵させると、2週間ほどで液の色は緑味をおび、藍花と呼ばれる泡が出来上がります。藍花の加減が藍染めのポイントになります。その藍花で繰り返し染色することで深い藍の色に糸が染まります。 また、大島紬は正確な絣合わせが特長です。織機に狂いが生じると絣模様が合いにくくなります。織機の確認、糸の張り加減、張子の張り加減、そしてオサ打ち加減など、常にバランスを確認しながらの作業が必要です。 *よろけについて 束ねた糸を綿糸で大小に括り、間隔も感性で括っていく手法。括った数種類の柄を縦糸、横糸に配列して組み合わせて、織あげる。 琉球紬 琉球紬(りゅうきゅうつむぎ)とは、沖縄県で生産される紬織物。燕などの特徴的な模様が有名で、他にも何種類かの模様がある。生産共同組合で審査を受けたものが市場の大半を占めるが、 織手が自己流通させているものもある。 塩沢紬 新潟県の塩沢産地の織物の歴史は古く、奈良時代に織られた当地方の麻布(現在の越後上布)が奈良の正倉院に保存されています。この麻織物の技術技法を絹織物にとり入れた織物が塩沢紬で、 江戸時代に織り始められました。摺(す)り込み・括(くく)り作業による、蚊絣と呼ばれている細かい十字絣や亀甲絣によって構成された絣模様には、独特の上品さと落ち着きがあります。 先染めの平織による絣織物で、経糸に生糸や玉糸を、緯糸に真綿の手紡(つむ)ぎ糸を使います。その製造工程は図案、染色、絣作り、製織、仕上げに大別されます。製織工程では、製図に基 づき絣糸1本1本を手作業で模様に合わせて織り上げます。 その他 信州紬(しんしゅうつむぎ)は、長野県全域で生産される織物で、1975年2月17日に、経済産業省(当時の通商産業省)から伝統的工芸品として指定された。 生産する地域によって、「松本紬」、「上田紬」、「山繭紬」、「飯田紬」、「伊那紬」などと呼ばれており、これらを総称して「信州紬」と呼んでいる。 ー歴史ー 蚕を飼育する農村地帯では、生糸にならない残り繭を真綿にしてこれを糸につむぎ、紬を織った。廃物利用の織物で、上質の絹物では味わえない厚手の地合いは、温かさと丈夫さを併せ持っていた。慶長年間(一五九六~一六一五) に常陸紬が結城紬と名を改称して市場に流通するころには、全国各地に地織紬がみられた。江戸時代になるとしばしば奢侈禁止令が出された事により、同じ絹物でも木綿と似た地合いで絹物の認定から除かれ ていた紬を愛用した。天保十二年(一八四一)の改革では絹織物の製造を禁止した。よって、地織紬は続々と市場で勢いを増し、紬は庶民の着物として決定的な位置を占めるようになりました。 真綿手紬糸を経・緯に平織する諸紬が本来のものだが、玉糸・綿糸を交ぜると半諸紬。 経に玉糸・綿糸、緯に紬糸は平紬という。 |