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*注 「しぼ」とは 「しぼ」は、強い※撚(よ)りがかかった緯糸が、元の状態に戻ろうとする時、がっちりガードしている経糸と経糸の間で盛り上がった時に出来ます。糸の太さ、 本数、撚りの強さ、方向などを変える事でさまざまな「しぼ」をつくることが出来ます。歴史のある「一越(ひとこし)ちりめん」、「しぼ」が大きい「古代ちり めん」、主力商品である「変わりちりめん」を初め、これまで多種多様の「しぼ」が開発されてきました。その種類は30を越えると言われています。「しぼ」は、 経緯合わせて何万本という極細の生糸の力の結晶といえます。 3)各地の縮緬 縮緬技術の伝達経路は、堺→西陣→加悦→峰山→長浜→岐阜。また西陣から桐生、次いで足利まで広りました。「原糸、用途、糸の使い方」などの違いで各地方特 有のちりめんが生まれました。(西陣・丹後・岐阜・浜・桐生・足利縮緬 等) ・西陣縮緬 真絹を手つむぎした織物です。西陣の紬は細めの糸使いできめ細やかです。シンプルで素朴なものから、西陣特有の「都ぶり」とも呼ばれる雅を加え たものもあります。お召し縮緬(ちりめん)は、徳川家斉が好んで着用し、この名の由来となりました。お召しには、糸質、織り方、柄、産地などによってさまざ まな種類がありますが、西陣のお召しは西陣お召しと呼ばれ、ちりめんの「しぼ」が肌に柔らかく優しい風合いです。また、柄で分ければ、絣お召し、縞お召しな どがあります。 ・丹後縮緬 丹後ちりめんは経糸(たていと)に撚りのない生糸、緯糸(よこいと)に1メートルあたり3,000回前後の強い撚りをかけた生糸を交互に織り込み生地 にし、その後、精練することによって糸が収縮し、緯糸の撚りがもどり、生地全面に細かい凸凹状の「しぼ」がでた織物のことをいいます。ちりめんの代表的存在 である「丹後ちりめん」は、この「しぼ」が最大の特徴です。 ・岐阜縮緬 岐阜縮緬(絹織物)の生産が始まったのは、享保期(1716~1735)のころとされています。すなわち、享保15年(1730)に京都に大火が起こり、たまた ま西陣で罹災した職工が岐阜へ移住し、そこで縮緬製作の技術を伝授し、やがて稲葉郡島村早田馬場の人、嘉兵衛、(一説に後藤嘉右衛門)が初めて織り出したと いわれています。 ・浜縮緬 浜縮緬(はまちりめん)とは、長浜縮緬の略で滋賀県の長浜地方で生産される縮緬(ちりめん)の絹織物のことをいいます。養蚕が盛んなこの地方では、 質のいい縮緬が多く丹後縮緬とともに、縮緬の二大産地と言われています。後染め用の白生地でもっとも需要が多い一越縮緬(ひとこしちりめん)が有名です。 また、浜ちりめんは「しぼ」と呼ばれる、表面に凹凸模様のある絹織物とも言われています。「しぼ」は生地に美しい光沢となめらかな肌触り、染色の染まりやすさを 生み出します。浜ちりめんは無地ちりめんとして出荷され、主に着物として仕立てられます。その為広く一般には知られていませんが、加賀友禅や京友禅にも使われる 最高級品なのです。純生糸だけを使う浜ちりめんの一つの反物には、約3000個分の繭(まゆ)が使われ、製品となるまでには約2ヶ月を要するといわれています。 ・桐生縮緬 桐生に伝わった縮緬技術は、八丁撚糸という1mあたりに約3000回転くらい撚りをかけて一旦糊付し、水をかけながらさらに逆回転の撚りを掛けていきます。 これは、非常に強い撚りの撚糸技術を開発し、それで作られた織物を第十一代将軍徳川家斉公が好んだため名付けられた「お召」というものに発展したことでも有名です。 ・足利縮緬 経糸に生糸、緯糸に綿糸の強撚糸を用いた白生地の交織織物で、丹後で考案・製織されたため「ちりめん」と称しました。この綿ちりめんは、後に足利で改 良され観光ちりめんと呼ばれることになります。その技法は綿ちりめんと全く同じですが、先染してあるものを「新御召ちりめん」と呼ばびます。足利では「羽経御召」、 桐生では「生経御召」と呼ばれました。 |